ヨーロッパと日本では、人々のコミュニケーションの取り方が「まったく違う」と言うのは、蹴球放浪家・後藤健生。なかでも、そ…
ヨーロッパと日本では、人々のコミュニケーションの取り方が「まったく違う」と言うのは、蹴球放浪家・後藤健生。なかでも、その違いが大きく出るのが列車内だとか。どういうことか。
■戸惑っていた「10代」の男の子
ロシア・ワールドカップのとき、日本対ポーランドの“奇妙な”試合を観た後、ラウンド16の最初の試合(フランス対アルゼンチン)があるカザンまで夜行列車で移動しました。23時10分発、22時43分着。23時間半の長旅です。
このときもコンパートメント式(仕切りのある個室)の簡易寝台で、途中の駅まで十数時間一緒だったのが、50歳台後半くらいの女性でした。たどたどしい英語でコミュニケーションを取ったのですが、お菓子や果物などをもらい、家族のことや教師としてのキャリアのこととかを話をしてくれ、おかげで退屈な時間をやり過ごすことができました。
あるとき、フランスのパリからイタリアのトリノまで夜行列車を利用したことがあります。「クシェット」と呼ばれる簡易寝台です。
出発が夜だったので車内はすでに座席がベッドになっていましたが、簡易寝台ではリネン類はビニール袋に入っているのを自分で取り出してベッドメークをしなければなりません。それを終えてからゆっくり寛ぎます。
そのとき、同じコンパートメントには若い10代のフランス人の男の子がいましたが、「クシェット」が初めてだったらしくて戸惑っていました。そのうち僕がやることを全部まねするようになって、夜中の国境越えのときもパスポート検査のやり方を教えてあげ、とても頼りにされてしまったこともありました(シェンゲン協定によってフランス・イタリア間の国境検査が廃止された20世紀末頃より少し前の話です)。
■つい遠慮してしまった「質問」
1974年に初めてワールドカップを見に西ドイツに向かう道中のことも覚えています。
このときは、横浜から船に乗ってソ連極東のナホトカに着いて、列車と飛行機を乗り継いでモスクワとワルシャワで3泊。そして、列車で東ベルリン経由西ベルリンに到着しました。そして、西ベルリンから開幕戦(ブラジル対ユーゴスラビア)が行われるフランクフルトに向かいました。
西ベルリンのツォー駅を出発。東ドイツ領内をノンストップで通過して西ドイツに出る列車です。
その列車のコンパートメントで出会ったドイツ人男性2人組。聞くと、東ドイツ(ドイツ民主共和国)国籍なんだそうですが、正式に許可を得て出国して西ドイツに住むんだそうです。
東西ドイツは激しく対立しあっていました。東ドイツ政府は1960年にベルリン市内に悪名高い「壁」を築き上げて交通を遮断。西側に脱出しようとする国民を容赦なく射殺していました。
「どうして許可が出たの?」と尋ねたかったのですが、話が政治的になりすぎるかと思って、つい遠慮してしまいました。今なら、遠慮なく訊いてみるんですが……。