サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニ…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、世界中が約半世紀にわたって背中を追い続けてきた「モダン・サッカーの父」、ヨハン・クライフを見出した「サッカー史上最高の監督」について。

■「キャッチャーだった」将来のスター

「エールディビジ」が始まってオランダのサッカーが「プロ化」されたといっても、実情は「セミプロ」程度だった。「当時のアヤックスでは、どのプレーヤーも、少額の経費と、ゲームに勝つか引き分けるときに、ちょっとしたプラス・アルファをもらうだけだった。みんなそれぞれ職業を持っていて、ウイークデーには働いていた。私自身もそうだった」と、ミケルスは語っている。

トレーニングは、週に3、4回、夕方に行われた。私の記憶では、当時プレーヤーが受け取っていた金額は、多い人でも1年間にせいぜい1000ポンド(訳注・当時のレートで約100万円)以下だと思う」

 後にミケルスとともにサッカーに革命を起こすヨハン・クライフは、当時18歳で、すでにアヤックスの将来のスターとして期待されていた。しかし、「セミプロ」状況のオランダのサッカーに希望を見いだせず、子どもの頃からサッカーとともにプレーしてきたベースボールの選手として、アメリカの大リーグでプレーすることを夢見ていた。彼は優秀なキャッチャーだったという。

 ミケルスはチームを鍛えながら、クラブを真のプロフェッショナルにする大手術に取りかかった。改革の足を引っ張るような者は、選手だけでなく、クラブの理事だろうとメンバーだろうと、断固追い出そうと動き始めたのである。クラブは完全なプロフェッショナルにならなければならず、選手の待遇も大幅に改善しなければならない。サッカーだけでいい暮らしができるようにしなければならない。

 彼はトレーニング時間を変更し、西欧の他のプロクラブのように、選手たちがもっとサッカーに集中できるよう午前中に設定した。そしてサッカーを中心に生活するようにした。これは大きな改革だった。彼自身も、それまでやっていた教師の仕事を辞め、アヤックスの監督という仕事に集中しなければならなくなったからだ。

■■縛られるのが「大嫌い」な選手たちに…

 こうしてなんとか2部降格を免れると、2年目には中盤の補強に成功し、安定した試合ができるようになって、アヤックスはチャンピオンの座を取り戻す。その過程で、彼が最も重視したのは「規律」だった。

 オランダは国王を持つ「王国」だが、古くからそれは「シンボル」に過ぎず、オランダ人は自由を愛してきた。オランダという国自体、祖先がひたすら低地を埋め、浅海を締め切って干拓してつくってきた国土のうえにつくられた国だったからだ。

「世界は神が創ったが、オランダはオランダ人が作った」

 古くからそう言われてきた。その自負を持つオランダ人たちは、何かに縛られるのが大嫌いだった。

 しかし、サッカーは「素敵な趣味」ではない。ミケルスが実現しようとしていたサッカーには、「規律」が不可欠だった。攻撃と守備、それを効果的に繰り返すためには、やるべきことを明確にし、それを徹底して実行する「規律」がなければならなかった。ミケルスの「規律」は、ピッチ上だけでなく、私生活にまで及んだ。夜遊びはご法度だった。

 ミケルスは、チームの利益を最優先し、個人的な能力をチームのために生かそうとチームプレーのトレーニングを課した。彼の見るところ、アヤックスの選手たちは精神的に未成熟で、27歳頃になってようやく自分の能力をチームのために100パーセント発揮できるようになる―。そこで、もっと若いうちに精神的に成熟させることがコーチの重要な仕事と考えた。

■現代サッカーでは「当たり前」のことを

 何より重要なのは、「ボールなしの動き」だった。試合は90分あっても、1人の選手がボールをプレーできるのは長くても2~3分間に過ぎない。当時のアヤックスの選手の多くは、ボールがないときには止まっていた。

「味方がボールを奪ったら、つまりこちらが攻撃する番になったときには、チーム全体が絶え間なく動き回らなければならない。その動きは、チームメートへパスを出す可能性を、できるだけ多くつくり出すものでなくてはならない」 

「パスを出す可能性は、スペースをつくり出すことによってのみ生まれる。そのスペースは、プレーヤーが、ボールの近くにいないときでも絶え間なく動くことによってのみ生まれる」

「動いているプレーヤー――正しいタイミングで動いていなければならないが――は、相手のプレーヤーにとってはマークしにくい。そこで、パスを受け取る可能性がつくり出されるわけである。そのプレーヤー自身がパスを受けなくても、他のプレーヤーがパスを受けやすくなる可能性をつくり出すことができる」

「“ボールなしで動け”というと、たいていのプレーヤーは、いつも同じような調子で走り回る。このような考えは、まったく間違っている。ボールなしの動きは、効果的に動いたときにのみ意味がある。これが核心である」

「いいかえれば、プレーヤーは、正しいタイミングで、正しい場所から、正しい方向へ、さらにつけ加えれば、正しいスピードで動かなければならない」(以上引用『サッカー・マガジン』1977年6月25日号)

 現代のサッカーを知る人なら、当たり前のことのように聞こえるかもしれない。しかし、当時のオランダ選手にはこうしたことが理解できず、ミケルスは「非常に多くの忍耐と、多くの適切なトレーニング」が必要だったと言う。

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