サッカーの華といえば、やはりゴールだろう。戦術面などで進化を続けるサッカーだが、その過程で突然、「ゴール不足」に悩まさ…
サッカーの華といえば、やはりゴールだろう。戦術面などで進化を続けるサッカーだが、その過程で突然、「ゴール不足」に悩まされることがある。現在、Jリーグが直面している、サッカーの保守化、右傾化に、サッカージャーナリスト大住良之が警鐘を鳴らす!
■「危機感を持った」未来の会長
「このままでは、サッカーの人気は衰えてしまう。もっと攻撃的で、もっと数多くの得点が決まるゲームにしなければならない」
危機感を持ったのが、1990年当時、国際サッカー連盟(FIFA)の事務総長だったゼップ・ブラッター(後に会長)である。得点を増やすためにどうしたらいいのか。さまざまなアイデアが出された。
たとえば「10人制」。これは1990年ワールドカップで優勝した西ドイツ代表チームの監督を務めたフランツ・ベッケンバウアーの主張だった。この大会のラウンド16、優勝候補同士が対戦した西ドイツ×オランダで、前半22分という早い時間に西ドイツのルディ・フェラーとオランダのフランク・ライカールトがそろって退場処分になった。その後の試合がともにスピーディーでエキサイティングなものになったことから、「これだ!」と思ったという。
「ゴールを大きくする」というアイデアもあった。高さ2.44メートル×幅7.32メートルというゴールの大きさが決まったのは19世紀。しかし、それから100年、選手たちがどんどん大きくなり、190センチを超すGKも珍しくはなくなった。得点が減るのは当然である。だからゴールを大きくすべきだ…。
だがプロもアマチュアもワールドカップも草サッカーもルールは同じというのがサッカーという競技の文化である。世界には何十万対ものゴールがある。これをすべて大きなものに変えなければならないというのは現実的ではない。1チームを10人に減らすことも、プレーに参加できない1人を生むことになり、サッカーにとってプラスとはいえない。
■日本代表の「ロビング」で廃案に
「18ヤードオフサイド」という案もあった。18ヤード、すなわちペナルティーエリアのラインまではオフサイドをなくそうというのである。だが、これも試合のスピード感を落とすということで採用されなかった。
スローインに代わる「キックイン」もテストされた。「サッカーは足でやるもの」というのがブラッターの説明だったが、1993年に日本で開催された「FIFA U-17世界選手権(現在のU-17ワールドカップ)」で日本が相手陣でのすべての「キックイン」で特定のキッカーがわざわざ蹴りにいき、ゴール前へのロビングとしたことで、あっさりと廃案となった。
そうした中、1992年のルール改正で採用が決まったのが、「バックパスルール」だった。味方プレーヤーが足でプレーしたボールに対し、GKは自陣ペナルティーエリア内であっても手を使うことはできない―。今日では誰も疑わない当たり前のルールだが、当時は衝撃的だった。
日本リーグ時代の読売サッカークラブ(現在の東京ヴェルディ)のMFラモス瑠偉の「得意技」が、リードしたときに最後尾でボールを持ち、ゆったりとドリブルして、相手が取りにくると足にボールを乗せ、浮かせてGKに渡し、手で取らせるというものだった。もちろん、相手が離れると、もう一度もらって、ゆっくりキープする―。「バックパスルール」は、こうした「時間の浪費」をなくすためのものだった。
効果はてきめんだった。1982/1983から10シーズンのイタリア・セリエAでは、1試合の平均得点が2.17(ちょうど今季のJリーグと同じ数字である)だったが、新ルールが採用された1992/93シーズンでは2.80まで上がったのだ。
■準々決勝での「衝撃的な判定」
さらに、1994年ワールドカップ・アメリカ大会では、それまでの伝統的な勝点制度(勝利に2、引き分けに1)という勝点制度を廃止し、「勝利に3、引き分けに1」とするものを採用した。「引き分け」の価値を相対的に落とし、勝利を目指す姿勢(=攻撃的な姿勢)を奨励するものだった。
1994年ワールドカップの結果を見て、その年の秋、FIFAはグラスルーツ(草の根)を含むすべてのサッカーで勝点を「3-1」とすることを決めた。
この1994年ワールドカップでは、オフサイドの新しい解釈も行われ、それがその後のスタンダードとなった。それまでは、パスが出された方向に攻撃側のオフサイドポジションの選手がいたらオフサイドということになっていたのだが、準々決勝のブラジル×オランダで衝撃的な判定があった。
ブラジルが前線にボールを送ったとき、その先には、FWロマーリオがオフサイドポジションで自陣方向へゆったりと歩いていた。オランダのDFは当然オフサイドと思って足を止めたが、ロマーリオはまったくプレーのそぶりを見せず、オンサイドのポジションから走り出たFWベベットがボールを受けてそのまま進み、ゴールを決めてしまったのだ。
それまでの「オフサイド解釈」と大きく違う判定は議論を呼んだが、FIFAは「正しい判定だった」と主張し、新しい基準となった。ちなみに、主審はコスタリアのロドリゴ・バディーリャ、副審はバーレーンのユシフ・アブドゥラー・アルガタンだった。
このような「努力」の結果、1994年のワールドカップでは52試合で141得点、1試合平均2.71、前大会比122.61%と、得点数の大きな上昇をみた。その後のワールドカップでは、2006年ドイツ大会2.30、2010年南アフリカ大会2.27と低迷したものの、以後の3大会ではコンスタントに2.6台を記録している。