上田二朗氏は1973年の巨人戦で、9回2死まで無安打投球 阪神のレジェンド右腕・上田二朗氏(野球評論家)は、22勝を挙げたプロ4年目の1973年シーズンで惜しくもノーヒットノーランの偉業達成を逃した。7月1日の巨人戦(甲子園)で9回2死まで…
上田二朗氏は1973年の巨人戦で、9回2死まで無安打投球
阪神のレジェンド右腕・上田二朗氏(野球評論家)は、22勝を挙げたプロ4年目の1973年シーズンで惜しくもノーヒットノーランの偉業達成を逃した。7月1日の巨人戦(甲子園)で9回2死まで無安打に抑えていたが“ミスタージャイアンツ”長嶋茂雄内野手に三遊間を破られた。「あの時は、その前(の打者)の王(貞治)さんのところからね……」。バッテリーを組んだ田淵幸一捕手から「歩かせてもいいぞ」と言われながら真っ向勝負を選択しての結果だった。
プロ4年目の上田氏は辻恭彦捕手と田淵の協力によってマスターしたスローカーブを駆使して、前半戦から勝ち星を量産していった。4月2勝、5月4勝。シーズン15登板目の6月20日の大洋戦(川崎)での完封勝利で初の2桁、10勝に早くも到達した。これは2試合連続の完封勝利でもあったが、当時は先発投手がリリーフも“兼任”するのが当たり前。16登板目は中1日で6月22日の広島戦(甲子園)に6回から3番手で投げ、3回2/3を無失点だった。
さらに17登板目も中1日でリリーフ。6月24日の広島戦(甲子園)に3-2の8回途中から3番手で登板し、1回1/3を無失点に抑えて勝利に導いた。日本のプロ野球でセーブが公式記録として導入されたのは1974年から。セーブが記録されていない時代ながら、上田氏は先発をやりながらクローザーも普通に務めていた。「1週間で20イニング投げたりとか、そういうことはよくありましたからね」。
その年の18登板目が7月1日の巨人戦だった。前回登板から珍しく中6日。たまたま、この間に雨天中止などで2試合しか消化されていなかったからだが、当時の上田氏にしてみれば休養十分でもあったのだろう。緩急自在の投球で巨人打線を封じ込んでいった。阪神打線も初回に田淵の19号2ラン、6回には池田純一(当時の登録名は池田祥浩)外野手の2号2ランで援護して4-0とした。
上田氏は8回まで4四球を与えたながら無安打投球で9回に突入した。先頭の黒江透修内野手を中飛に打ち取り、ノーヒットノーランまで2人。しかし、3番・王、4番・長嶋が待ち構えていた。「まず王さんのところがポイントでしたね」。そこまでの3打席はすべて四球だったが、上田氏はこの場面で敢えて真っ向勝負を選択。「王さんと勝負して抑えないと意味がないと思ったんです」。
大飛球を打たれた。「ホームラン性の当たりをカーンとね。ポール際に入ったか、入らなかったかってくらいの感じだったと思う。1メートルくらいでファウルだったんですけどね」。それでも逃げなかった。「田淵さんが(マウンドに)来て『歩かそうか』って言われました。でも、私は『駄目、駄目』って言ったんです」。気持ちを込めて投げた。そして、王を遊ゴロに打ち取った。これで、あと1人。打席には長嶋が入った。
初球の直球を捉えられ…ノーノーが幻に終わった一打
「また田淵さんが来て『歩かせてもいいよ』って。私は『嫌です』と言いました。“せっかく王さんを打ち取ったんだから、長嶋さんとも勝負しないとアカンやろ”と思ったんでね。田淵さんが『じゃあ何から入る』というから『真っすぐです』と答えました。『長嶋さんはこういう時、真っすぐのタイミングで打ってくるから、スライダーから来い』と言われたんですけど『いや真っすぐです。スライダーは勝負の球に置いときたい』と……」
ほんのわずかな時間での会話。「田淵さんも『わかった。真っすぐでいいから、絶対甘く入るなよ』と言ってくれて、私もそのつもりだったんですけどね……」。初球。アウトコースを目掛けて投げたストレートが、中に入ってしまった。「スッと中にね。真ん中低めくらい。それを長嶋さんが例の如く、強引にカーンと引っ掛けて三遊間を抜かれてしまったんです」。9回2死でノーヒットノーランが幻に終わった瞬間だった。
「あれって、ピッチャー心理なんですよね。田淵さんが“真っすぐでもいいから、こっち来いよ、甘くなるなよ”とアウトコースに構えていたのに、やっぱりボールにはしたくない、カウントを有利にしたいというのがあったんでしょうね。それで手元が狂ったのかもしれません」。9回2死一塁で代打・広野功外野手を遊飛に抑え、1安打完封で11勝目を挙げたが「振り返れば、もっと大事にいけばよかったかなぁと思いましたけど、それも結果論ですからね」と話す。
「あそこで王さんや長嶋さんと勝負せずにノーヒットノーランを達成しても、その後、大した話題になっていないと思う。あそこでONと対決してああなったから、その後も話題にしてくれたと思っています」。上田氏はこの快投後も中3日で7月5日の中日戦(甲子園)に先発し、3失点完投勝利で12勝目。7月10日の巨人戦(後楽園)は2回5失点で敗戦投手になったが、中1日で7月12日の同カードにも先発して2失点完投勝利をマークして13勝目を挙げた。
さらに中2日で7月15日の大洋戦(甲子園)に1失点完投勝利で14勝。そこから中3日での7月19日のヤクルト戦(甲子園)では無四球完封勝利だから、すごいとしか言いようがない。それこそノーヒットノーランを逃して、さらに勢いづいた形だ。
前半を終えて上田氏は23登板、15勝4敗、防御率1.94の成績を残したが、この年は左腕・江夏豊投手とともに、まだまだ投げまくる。「優勝を争っていたんでね」。ところが、悔しい結果が最後の最後に待っていた。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)