1973年に22勝を挙げた阪神のレジェンド・上田二朗氏 元阪神アンダースロー右腕で、NPB通算92勝を挙げた上田二朗氏(野球評論家)は4年目の1973年に22勝をマークした。それまでの3年間は9勝、1勝、9勝だったが、大ジャンプアップのシー…
1973年に22勝を挙げた阪神のレジェンド・上田二朗氏
元阪神アンダースロー右腕で、NPB通算92勝を挙げた上田二朗氏(野球評論家)は4年目の1973年に22勝をマークした。それまでの3年間は9勝、1勝、9勝だったが、大ジャンプアップのシーズンとなった。大きな要因はスローカーブを使えるようになったこと。同年の阪急とのオープン戦で投げたのがきっかけで練習を開始し、辻恭彦、田淵幸一両捕手の協力によってマスターできたという。「22勝できたのは2人のおかげです」と話した。
それは思ってもいないところから始まった。「キャンプ明けの最初のオープン戦は(高知)安芸で行われる阪急戦で、私は入団してからその試合の先発をずっとやっていたんです。1973年の(プロ)4年目も先発しました。そこでですよ。何イニング目だったかは忘れましたが、(阪急の)高井(保弘)さんがピンチヒッターで出てきて、私は普通にカーブを投げようとして、足のかかとが土にひっかかったんですよ」。その時に投じたボールがきっかけになった。
「ちょっとひっかかった分、ククッとちょっとずれたんですよ。そしたら、ずれた分だけ、腕がちょっと遅れてスローカーブになった。それが真ん中から外へ行ったもんですから、高井さんはホワンって感じのスイングになって三振。(捕手の)田淵さんがすぐマウンドに来て『今の最高のボールやなぁ、高井さんみたいな長距離バッターとか振ってくるバッターには絶対有効だから、今日はこれを使おう。意識して投げてこい』って言われたんですよ」
たまたまのボールだっただけに上田氏は「ちょっと待ってくださいよ。それは無理無理無理」と答えたという。「ほんのわずかな時間での田淵さんとの会話でしたけど『今日は無理、あとでブルペンに行きますから』と言ってね。私はその試合、4イニングか5イニング投げたと思います。それからブルペンに行ったら、辻さんも『あの球、ええなぁ』と言ってくれて付きっきりでやってくれた。試合が終わったら田淵さんも来てくれて『あのボールを研究しよう』って」。
新球完成へ…辻恭彦氏と探求の日々
簡単ではなかった。「なかなかあのタイミングで投げられないんですよ。自然とひっかかっただけですからね。(意図的に)足をひっかけるなんてできないので、それをどうしょうかとなった。一度、膝を折ってみようかとか、何かでアクセントをつけようってね。肘を後ろでポンと遅らせようか、とか本当にいろいろ試行錯誤したんですよ。でも、どうしても答えがでなかったんです」。
実戦で試したという。「甲子園に帰ってから、紅白戦があったんで、そこで、バットを振り回してくる打者を相手に投げてみようとなった。腕の位置を変えずに手首を立てて、ポッとタイミングをずらしたような球を投げたら、意外と成功したんですよ。『これなら行けるんじゃないか』となって、そこから辻さんにずーっと見てもらって、練習して開幕を迎えたんです」。上田氏は開幕3戦目となる4月18日のヤクルト戦(神宮)に先発した。
しかし、結果は散々だった。打者8人に5安打。デーブ・ロバーツ内野手と中村国昭内野手に一発を浴びるなど5失点でKOされた。「スローカーブは使ったんですけどね。成功しなかった。ストライクが入らなかったんです。今までのカーブも効かなくなって、真っ直ぐとシンカーを狙われて、打たれたんです」。ある程度のメドを立てて臨んだはずが、まさかの事態。「あの時は“あれ、どうしよう。これでは今年やっていけないなぁ”って思いましたね」。
甲子園に戻って再チェックした。「辻さんが『タイミングを外すことで本来のフォームじゃなくなっている』と言ってくれた。『フォームを元に戻して、タイミングを狂わすことを意識するのをやめて、自分のひとつの流れの中で腕だけを遅らせる感じにしよう』というアドバイスをもらって取り組みました。そしたら、うまくいったんですよ」。
「ボール1個食い込んだら勝ちですからね」
4月22日の広島戦(甲子園)に先発。9回に三村敏之内野手に本塁打を許し、完封こそ逃したものの、被安打4の1失点完投でシーズン1勝目を挙げた。1回5失点でKOされたヤクルト戦から中3日で立て直した。「その3日間で辻さんが『これでいいわ、大丈夫や』って。緩いカーブでストライクが取れるようになったんです。そうなったことで速いカーブとシンカーと真っ直ぐが、生きてきたわけです」。
一気に流れをつかんだ。そこからまた中3日で先発した4月26日の巨人戦(後楽園)では3失点完投勝利。さらに中4日で先発した5月1日の中日戦(甲子園)でも1失点完投勝利をマークした。「今シーズンはこれでいける。緩いカーブでストライクさえ取れれば大丈夫と思った。辻さんに『バッターは緩いボールの残像があれば、次、真っ直ぐが来るとわかっていても、タイミング的に真っ直ぐが絶対食い込むから』って教えてもらった。ボール1個食い込んだら勝ちですからね」。
プロ4年目の上田氏は先発、リリーフにフル回転して22勝をマークしたが、すべてはそこから始まった。「きっかけはオープン戦での足の引っかかり。何が幸いするかわかりませんよね。それがチャンスだったわけですが、あの時、田淵さんと辻さんが『今のボール、いいね』と言ってくれなかったら、“ああ、引っかかった”で終わっていたかもしれない。その年の22勝はホント、田淵さんと辻さんのおかげなんですよ」。
上田氏はそう話したが、この年は、とにかくいろんなことがあった。7月1日の巨人戦(甲子園)では9回2死から長嶋茂雄内野手に安打を許してノーヒット・ノーランを逃した。そして、最後の最後には阪神が優勝へのマジック1を点灯させながら、巨人にV9を許すという何とも悔しい結果も起きることになる。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)