昨年10月の第101回箱根駅伝予選会で12位で敗退し、本戦出場を逃した明大が2日、東京・千代田区の明大・駿河台キャンパスで新指導体制の記者会見を行った。大学創立150周年の2031年度(2032年1月)の箱根駅伝で1949年以来、83年ぶ…

 昨年10月の第101回箱根駅伝予選会で12位で敗退し、本戦出場を逃した明大が2日、東京・千代田区の明大・駿河台キャンパスで新指導体制の記者会見を行った。大学創立150周年の2031年度(2032年1月)の箱根駅伝で1949年以来、83年ぶりの優勝を目指す挑戦プロジェクト「『紫紺の襷(たすき)プロジェクト~Mの輝きを再び~』箱根駅伝優勝に向けさらに前へ 世界へ」が始動し、選手やスタッフらが意気込みを語った。

 1日から駅伝チームの監督に就任した大志田秀次新監督は、「私が学生たちに期待することは、『学生が自ら主体性を持ち、課題、困難に対して果敢に挑戦する姿勢』。また、正しいことを正しく行動し、継続するということが一番大切なことだと思っています」などと、チームの指導方針を熱弁。「選手もまずはシード権獲得が目標と言っています。それを達成するには何をするか。選手の言葉にしっかりと答えを出していきたい。必ず明治大学を強くしていきたいと考えています」と力強く話した。

 明大は、1920年の第1回箱根駅伝に出場した東京高等師範学校(現筑波大、優勝)、明大(2位)、早大(3位)、慶大(4位)の4校のうちの一校で「箱根オリジナル4」と呼ばれる古豪。7回の優勝を誇る。2012年には3位と躍進したが、最近は苦戦が続く。6位となった2020年を最後にシード権(10位以内)から遠ざかっている。昨年の予選会は12位に終わり、7年ぶりに本戦出場を逃した。今年の1月8日に駅伝チームの山本豪監督の退任が発表され、古豪復活の切り札として招聘(へい)されたのが、東京国際大を新興校から常連校に育て上げた敏腕、大志田新監督だった。

 明大から、昨年11月頃に声がかかったと言い、「明治大学の選手の皆さんを見ていく中で、まずはおもしろいチームだと思いました。また素質がたくさん眠っているチームだと思いました」と約1か月、考えた上で承諾。今年3月から明大のグラウンドで選手らと会話する機会などを徐々に作り、4月から本格的に指導開始。大志田新監督は、「今は新しいことを選手たちにやってもらっている最中。今後プラスになればと思っています」と一歩一歩、目標へ向かって進んでいく。

 新主将に就任した室田安寿(4年)も「箱根駅伝10区区間賞という目標を立てました。まずは本戦の出場を第一に取り組みます。10区を走って、最高の景色を見るために、選手として、しっかり練習や生活を引っ張っていきたいと思っています」とさらなる飛躍を誓っている。確かな手腕を持つ大志田新監督のもと、2025年度の明大は秋の箱根駅伝予選会で2年ぶりの突破を果たし、そして、2026年正月の箱根路で2020年以来のシード権獲得を目指す。

◆明大競走部 1907年創部。正式名称は「陸上競技部」ではなく「競走部」。1920年の第1回箱根駅伝に出場した4校のうちの1校で東京高等師範学校(現・筑波大)、早大、慶大とともに「オリジナル4」と呼ばれる。1949年の25回大会まで7回の優勝を重ねたが、以降、優勝から遠ざかっている。1956年は部員が足りず、助っ人としてラグビー部員が6も人出場。当時の箱根駅伝公式プログラムには実質的な監督としてラグビー部の北島忠治監督の名が記されている。出雲駅伝は最高7位(2011、13年)。全日本大学駅伝は最高2位(14年)。タスキの色は紫紺。練習拠点は東京・世田谷区八幡山。

◆大志田 秀次(おおしだ・しゅうじ)1962年5月27日、岩手・盛岡市生まれ。62歳。81年、盛岡工から中大に入学。箱根駅伝は3年1区11位、4年8区区間賞。85年に卒業し、ホンダ入社。86年アジア大会1500メートルで金メダル獲得。89年に現役引退。94~2002年にホンダコーチ。95~99年は中大コーチを兼任し、96年の箱根駅伝優勝に貢献した。11年、東京国際大監督に就任。23年に退任。