サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、「南洋」の「サッカー未開の地」の話。■サッカー協会を設立した「エンジニア」 核汚染で苦しめられ…
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、「南洋」の「サッカー未開の地」の話。
■サッカー協会を設立した「エンジニア」
核汚染で苦しめられてきたマーシャル諸島は、1990年代には新たな「国消滅」の危機があることに茫然とする。地球温暖化による海水面の上昇である。国土の平均海抜はわずか2.1メートルに過ぎず、すでに人が住めなくなった環礁が10を下らない。観測によれば、1993年以来、海面は1年あたり3.4ミリ上昇している。海面が1メートル上がると、全人口の半分が暮らすマジュロ環礁の大半も浸水してしまうという。
このマーシャル諸島にサッカーの花を咲かせようとしたのが、地元の電力会社のエンジニアだったシェム・リヴァイという男だった。2020年にサッカー協会(MISF)を設立したとき、彼はまだ30代の勤め人だった。米軍基地のあるクェゼリン環礁にあるエバイ島(1万2000人が暮らし、首都マジェロに次ぐこの国第2の町)出身、ハワイ大学で機械工学を専攻、卒業後ハワイでアメリカ運輸省空港部門に勤務していたが、後にマーシャル諸島に戻り、マジュロにある「マーシャルエナジーカンパニー」で発電所運営マネジャーを務めていた。
彼自身は少年時代からバスケットボールをプレーしていた。しかし、息子がどうしてもサッカーをしたいというのでいろいろ調べてみた結果、驚くことにマーシャル諸島にはサッカーを統括する組織(協会)がないことに気づいた。急いでサッカー協会を設立し、以来この国のサッカーの発展に努めてきたのである。
■イングランドから来た「30代の若者」
そのリヴァイの情熱に打たれ、イングランドから1万3000キロもの旅をしてやってきてMISFのテクニカルディレクターとなったのが、ロイド・オウワーズという男だった。1989年生まれ、これも30代の若者だった。
オウワーズはセミプロレベルでプレーをあきらめ、コーチの仕事に入った男だった。アメリカ、カナダ、スウェーデン、アメリカなどでコーチを務め、このころにはイングランドのオックスフォード・ユナイテッドでコーチの仕事をしていた。
地球の反対側にいる2人の人間がある日突然出会うことも、今日的だ。あるオンラインのサッカーコーチングブログにオウワーズが投稿をしたことがあった。その投稿を読んだリヴァイがオウワーズに連絡してきたのである。互いの意見交換はメールのやりとりからWhatsAppとなり、「サッカー不毛の地」マーシャル諸島でどうサッカーを成長させていくか、熱い議論が続いた後、2022年末、オウワーズはマーシャル諸島に行くことを決断した。
2023年の夏、オウワーズはロンドンからアメリカのシカゴ、そしてハワイのホノルルを経由し、40時間以上をかけてマジュロにやってきた。航空運賃は往復で200万円以上した。
■日本サッカーの父を思わせる「活動」
最初の滞在中に、彼は子ども向けのサッカー教室を行い、スポーツに興味ある青年男女の体験教室も開催、さらにはコーチたちの指導にも当たった。マーシャル諸島オリンピック委員会との話し合いにも参加、MISFは正式に委員会メンバーとなった。マーシャル諸島は、2008年の北京大会でオリンピックに初出場し、以後2~5人のアスリートを夏季オリンピックに送り出している。
オウワーズはさらに教育大臣とも会い、サッカーを教育カリキュラムに組み込ませることに成功した。最初の訪問での旺盛な活動は、1960年代初頭に日本に来たドイツ人コーチ、デットマール・クラマーを思わせる。
オウワーズは、マーシャル諸島の主要環礁であるマジュロとクェゼリンにそれぞれリーグをつくり、両リーグの優勝チームでマーシャル諸島チャンピオンを決める方式を提案した。そして、まずはフットサルリーグを開催することとした。そして女子のフットサル代表チームを初めて招集し、アメリカのアーカンソー州スプリングデールでのトレーニングキャンプを行った。
2024年の夏には再度マーシャル諸島を訪れ、初めてのマーシャル諸島フットサル男子代表を率いてキリバスとの対戦を実現した。