サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、「南洋」の「サッカー未開の地」の話。■霞ケ浦に「ほぼ等しい」島国 マーシャル諸島共和国は、太平…
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、「南洋」の「サッカー未開の地」の話。
■霞ケ浦に「ほぼ等しい」島国
マーシャル諸島共和国は、太平洋の西部、「ミクロネシア」と呼ばれる地域に点々と広がる島国である。日本から見れば「南洋」だが、フィリピンの東にあたり、北半球に属している。しかも「日付変更線」の西にあり、日本との時差は3時間(日本が3時間遅れ)。大ざっぱに見ると、29の「環礁」と、5つの主要な火山島からなるが、細かくみれば1200以上もの島があると言われる。
島々が広がる区域の広さは190万平方キロ(日本の約5倍)にもなる。しかし、そのうち陸地は180平方キロに過ぎず、これは日本で2番目に広い茨城県の霞ケ浦にほぼ等しい。現在の人口は約4万2000人である。
実はマーシャル諸島共和国ヒルダ・ハイネ大統領は親日家で、何回も来日しており、今年の3月13日には石破茂首相と首脳会談を行っている。
マーシャル諸島は第二次世界大戦後からアメリカ合衆国の「信託統治領」となっていたが、1979年に独立し、1991年には国際連合に加盟した。堂々たる「独立国」である。しかし、サッカー協会(MISF)設立は2020年12月31日。その際に初代会長となったシェム・リヴァイが語った言葉が衝撃的だった。
「国連に認められた国で、マーシャル諸島はサッカーの代表チームを持っていない最後の国です」
■サッカー場が「なかった!」
もちろん、マーシャル諸島でもボールを蹴る少年少女はたくさんいる。しかし、長いアメリカ支配の影響で、人々の関心は野球やバスケットボールにあり、サッカーはマイナー競技に過ぎなかった。
そのうえにサッカー場がなかった。ようやくフルサイズのサッカーピッチができたのは2024年のことだったのである。首都マジュロのサンゴ礁の一部を埋め立て、140メートル×250メートルほどの土地を造成して、そこに野球場とともに2000人収容の陸上競技場をつくったのだ。ピッチは人工芝である。このかさ上げした土地は、防潮壁の役割も果たすという。
「マジュロ陸上競技場」と名づけられたこの競技場は、当初2022年にマーシャル諸島開催で予定されていた「ミクロネシア総合競技会」の主会場となるはずだった。建設費は600万ドル(約9億円)。台湾政府が援助した。
新型コロナウイルスで1年延期となり、さらにマジュロの競技場の完成が遅れたため、2024年6月開催となった。しかし、残念ながらサッカーは行われなかった。そのため、この大会で「デビュー」するはずだった「マーシャル諸島代表」は、実現しなかったのである。
■戦後「日本の組織」が統治
マーシャル諸島には、日本の「委任統治領」だった時代がある。この地域は1885年にドイツ領となり、ドイツの支配が続いていたが、第一次世界大戦(1914~1918年)時に「連合国」に属していた日本が攻め取り、そのまま日本海軍が統治、その後1922年から1944年まで「南洋庁」と呼ばれた日本の組織が統治した。
ただ、日本政府は日本に近い北マリアナ(サイパンやグアム)やパラオの開発には力を入れたが、東に遠く離れたマーシャル諸島にはあまり力を入れず、ドイツ時代と同様、特産のヤシ油の利用にとどまった。そのため、日本からの移住者は1000人にも満たなかったという。
その後、1944年にアメリカ軍が侵攻して攻め取り、戦後はそのままアメリカの委任統治領となった。
アメリカはソ連との開発競争となった核爆弾の実験場としてマーシャル諸島、なかでも北部のビキニ環礁を使用(ビキニの住人は強制的に移住させられた)、1958年に核実験が終了するまで、マーシャル諸島では合計67発もの原子爆弾・水素爆弾の実験が行われ、地域全体に大量の放射性下降物が降り注いだ。
1979年の独立後にも、クェゼリン環礁には米軍基地が残り、今も国全体がアメリカの強い影響下にある。通貨はアメリカドルであり、公用語は「マーシャル語」とともに英語。アメリカからの財政援助はGDPの37%にものぼる。国防と安全保障も、その権限はアメリカに委ねられている。