元西武の郭俊麟…来日して驚いた“意識の高さ” 思い通りに投げられない日々が続いたが、故郷で復活への道を歩んでいる。2015年から2019年まで西武に在籍した郭俊麟投手は昨年11月、プレミア12で、主要国際大会で初めて世界一に輝いた台湾代表の…

元西武の郭俊麟…来日して驚いた“意識の高さ”

 思い通りに投げられない日々が続いたが、故郷で復活への道を歩んでいる。2015年から2019年まで西武に在籍した郭俊麟投手は昨年11月、プレミア12で、主要国際大会で初めて世界一に輝いた台湾代表の一員としてプレーした。2019年オフに西武を戦力外になった後、台湾に戻りトミー・ジョン手術を受けた。昨季から統一ライオンズでプレーしている。

 国立台湾体育運動大から2014年オフに西武に入団。「日本でプレーしたいという気持ちはありましたが、まさか西武に入団できるとは思ってはいませんでした」。西武にはかつて「オリエンタル・エクスプレス」と呼ばれた郭泰源投手や許銘傑投手(現・富邦ガーディアンズブルペンコーチ)、張誌家投手など台湾人選手が在籍していたこともあり、小さい頃から西武の試合を見ていた。中でも、許銘傑は憧れの存在だった。

 子どもの頃、在籍していた少年野球の試合で数回来日したことがあったが、日本語は全くわからなかった。チームメートに教えてもらった簡単な単語を使ってコミュニケーションを取っていた。日本での生活は、選手たちの意識の高さに驚く日々だった。「寮で生活していましたが、球場がすぐ隣にあるので、休みの日でも練習に誘われました。休みたいと思うときもありましたが、みんなと早く仲良くなりたかったし、練習はしたほうがいいので、一緒にトレーニングをしていました」。

 2017年オフに平良海馬投手が入団してからは、兄弟のように親しくなった。「すぐに友達になり、海馬は自分を兄のように慕ってくれました。寮の部屋で、よく一緒にゲームをしました」。母国が恋しくなることもあったが、仲間に囲まれ楽しい毎日を送っていた。

2017年は1軍登板ゼロ、2018年はわずか1勝「戦力外になるのでは」

 1年目の2015年は21試合に登板し3勝を挙げたが、2017年は登板なし、2018年はわずか1勝に終わった。「ずっと日本で野球を続けたいと思っていましたが、球団の求めている結果とは遠いと感じていました。そのころから戦力外になるのではと感じていました」。2019年も2試合の登板にとどまり、オフに戦力外通告を受けた。2020年初めに世界を襲った新型コロナウィルス感染拡大の影響で先行きが不透明なこともあり、台湾に戻ることを決断した。

 その後は、楽天モンキーズとセルフトレーニング契約を結び2軍戦に登板していたが、6月にトミー・ジョン手術を受けた。「肘の調子がずっと良くなかったので、まずはちゃんと治して、台湾で新たな生活を始めることが大事だと考えました」。7月に行われた台湾プロ野球(CPBL)のドラフト会議で富邦から2位指名を受け入団。2022年には3勝、2023年には2勝を挙げた。2023年11月に台鋼ホークスの新規参入に伴い行われた拡大ドラフトで指名されたが、すぐにトレードで統一に移籍することになった。

 台湾に戻り、5年間で4球団を渡り歩いた。なかなか自分の居場所を見つけることができなかったが、2024年は主に先発として20試合に登板。3勝7敗1ホールド、防御率4.74で、代替ではあるものの、プレミア12の台湾代表に選出された。「色々なチームに行きましたが、声をかけてもらえることはありがたいことだと前向きに考えました。今、自分を指導してくれる統一の監督、ピッチングコーチには本当に感謝しています」。今季は昨年を上回る勝ち星を挙げることを目標に掲げる。

 西武を退団してから5年が経ったが、今でも台湾で試合を見ており「高橋(光成)、今井(達也)、平良が投げる試合は見ていますよ。若い選手が増え、今はチームにとって重要な転換期だと思います。これからどんどん強くなると思っています」と目を細める。古巣の戦いを気にかけながら、33歳の右腕は完全復活を期すシーズンに臨む。(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)