「選抜高校野球・準決勝、智弁和歌山5-0浦和実」(28日、甲子園球場) 声で、ジェスチャーで、姿勢で-。三塁コーチを務めた浦和実の主将・小野蓮外野手(3年)が快進撃をけん引した。 「チームを変えてほしい」。当時監督だった元巨人の小原沢重頼…
「選抜高校野球・準決勝、智弁和歌山5-0浦和実」(28日、甲子園球場)
声で、ジェスチャーで、姿勢で-。三塁コーチを務めた浦和実の主将・小野蓮外野手(3年)が快進撃をけん引した。
「チームを変えてほしい」。当時監督だった元巨人の小原沢重頼投手コーチ(55)に、そう誘われ入学した。同コーチが「浦実を変えるならこの子しかいないと、何度もアプローチした」というほど抜群のキャプテンシーの持ち主。だが、主将就任には反対もあった。
中学2年時に負った左膝分裂膝蓋(しつがい)骨の影響で万全でプレーできず、レギュラーではない。高1冬に手術したが痛みは治らず。2度目の手術を提案されたが、小野は「主将をやりたかった。肩書だけじゃなく、何かプレーで認められてベンチに入りたかった」と、手術はせずに高校野球をやり切ることを決めた。
主将候補にはレギュラー選手2人も挙がったが、最終的に選手間投票で選ばれた。取り組んだのは意識改革。アップ中の声出しやメニュー間のダッシュなど、強豪校と比べて足りないと感じていた姿勢の改善を試みた。
「試合に出てないのに」-。そんな声があったことも知っている。「100%で練習できない中で、みんなに言うのはキツい」と本音も明かす。それでも、少しずつ声をかけ理解を得ていった。象徴的な変化は、遠征時のバス移動だ。到着が近づくと小野が主導しミーティングを実施。みんながスマホを眺めて静かだった時間は、気持ちを高める時間へと変わった。
改革の完成度はこの甲子園で「まだ50%」と笑う。でも、間違ってなかった。4強入りという結果、聖地から送られた惜しみない拍手が証拠だ。
◆小野 蓮(おの・れん)2007年6月15日、17歳。千葉県松戸市出身。167センチ、67キロ。右投げ右打ち。小学1年から軟式の松戸カージナルスで野球を始め、常盤平中では千葉沼南ヤングでプレー。浦和実では2年秋からベンチ入り。小・中・高で主将。50メートル走6秒8、遠投80メートル。