騎手として5年目を迎えた古川奈穂 photo by Yasuda Kenji古川奈穂 インタビュー前編【「撮って楽しむ」中学時代】 名門・矢作芳人調教師の厩舎に所属する期待の若手ジョッキーのひとりが、古川奈穂騎手だ。2021年にデビューを飾…


騎手として5年目を迎えた古川奈穂

 photo by Yasuda Kenji

古川奈穂 インタビュー前編

【「撮って楽しむ」中学時代】

 名門・矢作芳人調教師の厩舎に所属する期待の若手ジョッキーのひとりが、古川奈穂騎手だ。2021年にデビューを飾ると、開催3日目にして初勝利を飾るなど1年目から活躍。昨年には節目の50勝に到達し、2025年は見習い騎手としてひとつの区切りとなる5年目を迎えた。

 そんな古川は競馬とは無縁の家系で育ち、中学生までは乗馬の経験すらほとんどなかったという。医師の父親を持ち、中高一貫校へと進学しながら高校で中退。そこから騎手の道を歩み始めた異色の経歴の持ち主だ。彼女はどのようにして騎手の道へと至ったのだろうか――。

 古川と競馬の出会いは小学6年生の時。ゴールドシップが勝利した2012年の有馬記念のテレビ中継を目にしたことがきっかけだった。

「強さももちろんですが、最初はゴールドシップの馬名がかっこいいなと思って応援していました。ほかにもルーラーシップやローズキングダムも響きが好きで、思い出に残っています」

 中学生になると少しずつ競馬への興味は強まり、出会いから約1年後の2013年12月、エイシンフラッシュ引退式の日に競馬場デビューを飾ることとなる。

「三者面談の日だったんですが、担任の先生が、私が競馬好きであることを知ってくれていて、『このあとに中山競馬場に行かないといけないので』と伝えると、なるべく急いで自分の番を終わらせてもらいました(笑)。船橋法典駅から中山競馬場につながる地下道に歴代の名馬が描かれていて、その時点でとても興奮していましたし、初めて馬場に出て視界が開けたときの衝撃は、今でも忘れられません」

 兄と弟の影響もあり活発に遊ぶ幼少期を過ごしていた古川。中学校でも陸上部で体を動かしてはいたものの、この時点ではまだ自分が騎手になることなどまったく考えていなかった。両親にお願いして競馬場に連れていってもらっては、誕生日に買ってもらったカメラで競走馬を撮影して楽しむ日々だった。

【内緒の受験で競馬学校へ】

 そんな「ウマ女」な中学生生活を送るなか、古川の転機となったのは、高校1年生の時だ。JRA(中央競馬)としては16年ぶりの女性ジョッキー・藤田菜七子騎手(2024年引退)がデビューを果たしたタイミングだった。

「過去にも女性騎手の方がいらっしゃったのは知っていましたが、菜七子さんを競馬場で見たときにかっこいいなと思って、徐々に騎手になりたい、競馬学校に入りたいという気持ちが強くなりました」

 騎手になるためには競馬学校へ通ってから騎手免許試験を合格する必要があり、その生徒の多くは中学校の卒業と同時に入学する。すでに高校へ進学しており乗馬経験もほとんどない古川にとって競馬学校への入学は高いハードルであった。しかし「好きなことをやりなさい」と背中を押してくれた両親の存在もあり、挑戦を決意した。

 競馬学校に入るためには高倍率の入学試験をくぐり抜けなければならない。前例のない古川の挑戦を学校側は容認してくれたものの、周囲への影響を考慮し「合格までは秘密にすること」が条件だった。そのため古川の騎手への歩みは、"内緒の受験"からスタートすることとなった。

「一次試験はなんとかなったんですが、二次試験は4泊5日の長期間で、その間は携帯電話も使えません。日程が文化祭とちょうど被っていたので、(文化祭の)準備にはずっといたのに急に音信不通になって、試験が終わったら何食わぬ顔で戻ってくる不思議な人になっていました(笑)。友だちも心配してくれたんですが、何も話せないので、とにかくいろいろと誤魔化していましたね」

 無事に入学試験合格を果たすと、古川はホームルームの時間に授業用タブレットでクラスメイトに自分の名前を検索してもらうことにした。競馬学校騎手課程36期の合格者として公示された名前をみんなが見つけると、「そういうことになりました」と報告。校内でも競馬好きとして知られた少女が、本格的に騎手としての歩みを始めた。

【競馬学校でイチから学ぶ】

 競馬学校では競馬の訓練やトレーニングだけでなく、馬房の清掃や飼い付け作業(馬のご飯)などもスケジュールに組み込まれており、生活のすべてが馬中心になる。高校では「いつもチャイムギリギリ」だったという古川にとって、全寮制で朝は5時半起床という生活リズムも含め、すべてが新鮮な環境。しかも周りは乗馬の経験者ばかりだった。

「同期はジュニアチームなどで小学生から乗馬経験があったり国体に出場していたりと、自分とは比べ物にならないくらい馬に触れてきた人たちばかりでした。私も高校を辞めてから入学までの半年間は競馬学校でイチから基本を教えてもらっていましたが、いざ一緒になってみるとその差をすごく感じました」

 同期との差を埋めようにも、細かく決められたスケジュールのなかではトレーニングや馬に乗れる時間は限られている。自然と訓練の量だけではなく質を求めるようになり、わずかな時間にもトレーニングを重ねながら、ストイックに自分のフィジカルやコンディションに向き合う、アスリートとしての考え方が身についていった。

「陸上競技の経験はあったんですが、友だちと楽しく部活動しながら自己ベストを目指すくらいの気持ちで関わっていたので、競馬学校のトレーニングは大変でしたね。とくに今まで必要としてこなかった上半身を鍛えるのはかなり大変でした。その分、下半身は強いほうだと言っていただけました。陸上では短距離も中長距離も走っていたので、いろんな体の使い方を学べていたのはよかったです」

 2年生になると厩舎での実習も増え、現役競走馬にまたがる機会も増えていく。当時から矢作芳人調教師の厩舎で経験を積んでおり、2018年に安田記念を制したGⅠ馬・モズアスコットにもまたがるなど、少しずつ騎手としての知識や感覚を養っていった。

「馬の特徴は感覚的なものなんですが、乗ったことのある人同士なら抽象的な表現でも伝わるんです。モズアスコットには一度だけ乗せていただいたんですが、背中で馬の偉大さを感じました。本当は人がリードしないといけないんですが、馬のほうがどっしりしていて私をリードしてくれていました(笑)」



これまでの歩みを明るく、誠実に話す古川

 photo by Yasuda Kenji

【留年を経てプロデビュー】

 競馬学校では厳しい課程を納めなければならないだけでなく、成長期の生徒にとっては体重管理との戦いもあり、ひとたび馬にまたがれば常にケガのリスクもつきまとう。幸い古川は食事や体重の管理を苦にしないタイプだったが、左肩のケガのため卒業試験を受けられず留年も経験した。

「もちろん3年で卒業するつもりで入学していたので、留年したときはとても悔しかったです。ただ、ケガをした状態で無理をするよりも、もう1年しっかりやろうと切り替えてやれたのがよかったと思います」

 そして2021年2月、ついにJRAの騎手免許試験に合格。1期遅い入学の37期生と同年に晴れてデビューが決まり、永島まなみ騎手とともに5年ぶりのJRA所属女性騎手誕生は大きな話題を呼んだ。

 古川が在籍していた頃の競馬学校では携帯電話は一切禁止で、固定電話も共用。流行りの話題を知る機会もほとんどなく、話題は自然と競馬のことばかりだったという。

 当時の思い出を、古川は笑顔でこう振り返る。

「私は乗馬競技の選手じゃなくて競馬ファンからの入学だったので、競馬関係者の方の顔と名前は最初から一致していて、知識ではアドバンテージがありましたね」

 馬券を買ったこともなかった両親の間に生まれた少女は、ふとしたきっかけから競馬好きの女子高生になった。そして偉大な先輩の背中を追い、カメラをステッキに持ち替えて、厳しくも華やかな騎手の世界へと足を踏み入れたのだった。

後編に続く>>

【Profile】
古川奈穂(ふるかわ・なほ)
2000年9月13日生まれ、東京都出身。154cm、44kg。栗東・矢作芳人厩舎所属。小学6年生の時に競馬に惹かれ、高校を中退して競馬学校に入学。ケガのため1年留年するも、37期生として卒業。2021年3月にデビューし、開催3日目で初勝利を飾る。24年11月にはJRA通算50勝を達成した。