箱根駅伝初出場を目指す芝浦工大に4月1日付けで就任することが内定している徳本一善新監督(45)が26日、本格始動した。 駿河台大前監督の徳本監督と麗沢大前監督の山川達也コーチ(40)による芝浦工大の新しい指導体制は24日に初ミーティングを…

 箱根駅伝初出場を目指す芝浦工大に4月1日付けで就任することが内定している徳本一善新監督(45)が26日、本格始動した。

 駿河台大前監督の徳本監督と麗沢大前監督の山川達也コーチ(40)による芝浦工大の新しい指導体制は24日に初ミーティングを行い、スタートした。3日目のこの日、さいたま市の大宮キャンパス内の競技場で初めてのトラック練習を行った。

 新2年~4年生は400メートルを15~20本、新入生は1000メートルを8~12本。新入生の方が練習量が多いことについて、徳本監督は「2~4年生は昨年までの芝浦工大の練習から急に大きく変えることはしません。選手の意見を聞きながらアレンジしていきます。昨年までの芝浦工大の練習を知らない新入生は私が考える練習をしてもらいます」と冷静に説明した。

 芝浦工大で初のトラック練習を始動した徳本監督は選手に向かって「必ず君たちを強くさせるし、結果を出させる」と熱く訴えた。主将の横尾皓(ひかる、3年)は「今までの練習と全く違います。充実感があります」と新体制で再スタートする25年度に手応えを明かした。

 徳本監督は法大時代、箱根駅伝史上初めて茶髪とサングラスの姿で走った選手とされ、多くの伝説を残した。3年時は2区で日本人トップの区間2位と好走し、首位浮上。その直後、日本テレビのインタビューでは頭の上から装着するウルトラマンのような奇抜なデザインのサングラスで登場し、新春の日本列島を驚かせた。

 12年に駿河台大監督に就任すると、指導者としても独特のスタイルで手腕を発揮。チームを一から育て上げ、10年目の21年10月の箱根駅伝予選会を突破。初出場に導いた。24年に2度目の出場。今年1月に退任が発表された。

 芝浦工大は2011年に駅伝部を創設。駅伝プロジェクト入学者選抜試験を導入し、大宮キャンパスに全天候型のトラックや選手寮を完備。文武両道を貫き、大学創立100周年を迎える2027年までに理工学系私大初の箱根駅伝出場を目指している。今年度で前田直樹監督(65)が定年退職。後任として、新興校の強化に実績を持つ徳本監督を招聘(へい)した。

 徳本監督のサポート役として、麗沢大前監督の山川コーチが2月1日に就任。駿河台大と麗沢大を率いてきた二人はライバルであると同時、互いの指導力、持ち味を認め合っており、絶好のコンビ。ともに箱根駅伝予選会の戦い方を熟知していることは強みとなる。

 芝浦工大はホームページで「新体制で創立100周年事業『駅伝プロジェクト』で目標に掲げる『箱根駅伝』での本選初出場に向けて邁(まい)進してまいります」と大学挙げての決意を表明している。

 徳本監督が芝浦工大を箱根路に導いた場合、2校を初出場させた初の監督となる。芝浦工大と徳本監督が箱根駅伝に新たな歴史を刻むため、力強く走り出した。

 ◇芝浦工大 1927年に有元史郎氏が東京・大森に前身の東京高等工商学校を創立。実学重視の技術者育成教育を継承して、49年に芝浦工大が設置された。現在、工学部、システム理工学部、デザイン工学部、建築学部と大学院理工学研究科がある。東京・江東区に豊洲キャンパス、さいたま市に大宮キャンパスがあり、駅伝部は大宮キャンパスを拠点としている。工学や建築の分野で多くの優れたOBを輩出。スポーツ界の主なOBはプロ野球・西武元監督の伊原春樹氏ら。

 ◆徳本 一善(とくもと・かずよし)1979年6月22日、広島市生まれ。45歳。美鈴が丘中1年から陸上を始め、3年時に全国大会で1500メートル2位。広島市立沼田高3年時に全国高校総体1500メートル2位。98年に法大入学。箱根駅伝では1年1区10位、2年1区区間賞、3年2区2位、4年2区途中棄権。2002年に卒業し、日清食品に入社。03、04年に日本選手権5000メートル連覇。12年4月、駿河台大駅伝部監督に就任。22年に駿河台大を箱根駅伝初出場に導いた。25年1月に監督退任。長男・陽(ひなた)は青学大1年生で箱根駅伝出場を目指している。