打っては2試合で計10打数8安打。スピード感あふれる走塁でもスタンドを沸かせた。 開催中の選抜高校野球大会で、春…
打っては2試合で計10打数8安打。スピード感あふれる走塁でもスタンドを沸かせた。
開催中の選抜高校野球大会で、春夏通じて初の甲子園の土を踏んだエナジックスポーツ(沖縄)。2回戦で智弁和歌山に4―9で敗れて8強入りはならなかったが、イーマン琉海(るかい)選手(3年)は1番打者として、高校野球ファンに鮮烈な印象を残した。
原点はプラスチック製バット
「まだ甘さがあった。でも、全国のレベルの高い相手に自分のバッティングはできました」
2回戦の直後、イーマン選手は悔しさと充実感の入り交じった表情で語った。
「1番・二塁手」で先発出場した1、2回戦で、ともに5打数4安打と活躍した。50メートル5秒9の俊足を生かし、2回戦では二つの盗塁も決めた。
チームはベンチのサインではなく、選手たちが自主的に戦術を決める「ノーサイン野球」を掲げる。「1回戦は自分たちの持ち味を発揮できたが、レベルが上がるほど怖がっていた部分があった。夏に向けてもう一回徹底したい」。イーマン選手は力を込めた。
「チームメートとすごい頑張っている。うれしいね」
2回戦をアルプス席で見守った父ケニーさん(59)は、息子の活躍ぶりをたたえた。
沖縄出身の母と米国出身の父の間に生まれたケニーさん。息子に母のルーツの琉球の「琉」と、大好きな「海」の字を授けた。
イーマン選手が野球を始めたきっかけは甲子園だった。
幼い頃に家族旅行で関西を訪れて観戦。エース左腕の島袋洋奨投手を擁して2010年に春夏連覇を達成した沖縄・興南を応援した。
「まだ2歳なのに魂が入ったように、夢中でずっと見ていた。沖縄に帰るとプラスチックのバットで遊ぶようになって、野球をやりたいと言うようになりました。野球に出合えたのは興南と島袋くんのおかげですね」
ケニーさんは懐かしそうに振り返る。
イーマン選手は小学2年の時に地元のチームに入った。中学生になり、エナジックスポーツに進学した2学年上の知り合いからノーサイン野球について聞いた。「すごく面白い野球をしていて興味を持った」。自分も入学を決めた。
初めは「難しくて、付いていくのが精いっぱいでした」。それでも「足(の速さ)はそこそこあったので、そこを生かせた。野球観(の鋭さ)も成長した」と、徐々に力を伸ばした。
昨秋の公式戦は打率4割超をマーク。冬場は体重を6キロ増やし、スイングスピードの向上に取り組んだ。センバツでは巧打に俊足と、その成果を目いっぱい発揮した。
将来的なプロ入りを目指し、高校卒業後は大学か社会人でのプレーを考えている。「(体の)サイズがまだ足りないので、そこを鍛えたい」
憧れは、米大リーグ・レッドソックスの吉田正尚選手だという。「プロ野球選手としては小柄でも、あれだけ飛ばせるのが魅力的。自分もホームランバッターではないが、いずれそういう(吉田選手のような)打者になりたい」と話す。
ケニーさんも「いろんな道があるけれど、野球が大好きだからこれからも頑張ってほしいですね」とエールを送る。
イーマン選手が塁上から眺めた甲子園は「すごい良い空間だった」。そして「絶対、夏に戻ってきたい」。甲子園の景色を目に焼き付け、さらなる成長を誓った。【深野麟之介、長宗拓弥】