2006年にキャリアに幕を下ろした中田氏。当時のサッカー界では小さくない衝撃を走らせる“事件”だった。(C)Getty Images 早すぎる引退を誰もが惜しんだ。今から19年前、ドイツで行われたワールドカップを最後に日本代表だった中田英寿…

2006年にキャリアに幕を下ろした中田氏。当時のサッカー界では小さくない衝撃を走らせる“事件”だった。(C)Getty Images
早すぎる引退を誰もが惜しんだ。今から19年前、ドイツで行われたワールドカップを最後に日本代表だった中田英寿は現役を退いた。
そのカリスマ性に誰もが羨望の眼差しを向けた。1998年にベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)からセリエAのペルージャに移籍した中田氏。当時は少なかった欧州サッカー、それもイタリアでの挑戦は大きな関心を集めた。
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超名門ユベントス戦での鮮烈なゴラッソという華々しいデビューとともに始まった彼の欧州サッカー界でのキャリアは、2000-01シーズンにローマで経験したスクデット獲得など、華々しいものとなった。当時の日本サッカー界は、間違いなく彼を中心に回っていた。
迎えた2006年のドイツW杯。当時、ジーコ監督が率いた精鋭揃いのチームは本大会を前に瓦解。内部で問題を抱え、方向性が定まらない状態で結果を残せるはずもなく、あえなくグループステージ敗退の憂き目にあった。
そして失意の中で中田氏は決断を下した。グループ3戦目のブラジル戦が終わった直後に現役引退を公表。自身のホームページでひっそりと明かされた決定には日本のみならず、世界で小さくないショックは広まった。
まだ29歳。発表直後はファンやメディアはもちろん、識者の間でも「中田はまだやれる」という見方が大半を占めた。そうした反響をわかっていてなぜ中田氏は決断を下したのか。
当時の心境を米メディア『The Athletic』で語った本人曰くW杯の6か月前に決めていたという決断は、“情熱”が引き金となって生まれた。
「自分はずっと情熱を求めてプレーしていた。あくまで好きなのはプレーすることであって、指導することでも、それについてコメントすることでもない。その情熱がなくなってしまったんだ。情熱がなかったら、自分に嘘をついているようなものだった」
アジアのベッカムともいわれたカリスマを誇り、サッカー界における名声もあった。それを捨てても自分に嘘はつけない。ある意味で正直すぎるのかもしれない男は、「引退したとき、多くの人から『まだプレーできる』とか、『サッカー業界で働いてコーチにでもなればいい』と言われた」と告白。その上で持論を展開している。
「でも、僕はできるから選んでいるわけじゃないんだ。とにかく好きで、やりたいからやっている。その時にファッションが好きならファッションを、他の文化が好きなら、他の文化に触れる。そして日本酒が好きなら日本酒をやる。全ては情熱のためにやっているんだ」
では、サッカー界に未練はないのか。中田氏はこう続けている。
「(プレーすることが)恋しくないと言えば、噓になるかもしれない。でも、今は違うタイプの情熱と感情がある。僕は後ろを振り返らない人間なんだ。常に、前を向いているんだ」
現役生活を離れてから世界を周遊。その中で日本酒や農業など日本文化の継承や発展を目指し、実業家としてのセカンドキャリアもスタートさせている中田氏。人々を唸らせるカリスマは、今も健在である。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
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