全国高校野球選手権地方大会の参加チームが減る中、10年前に創部された野球部があると聞き、KBC(沖縄)に伺いました。 …

 全国高校野球選手権地方大会の参加チームが減る中、10年前に創部された野球部があると聞き、KBC(沖縄)に伺いました。

 KBCは昨夏の沖縄大会で4強に、一昨年も8強に入った強豪で、2015年に創部された新しい野球部です。

 約40年前から専門学校などを展開するグループの一角として、07年に開校した高等専修学校で、昨年に校名がKBCになりました。

 10年前、グループ内の専門学校に勤めていた神山剛史監督(38)は高校時代、糸満で主将を務めましたが、甲子園には届きませんでした。高校野球の指導者として甲子園に、という夢を実現すべく、「新しく高校野球の部をつくりたい」と学校を移り、自らは部長となり、父であり、那覇商などを甲子園に導いた昂(たかし)さん(73=現総監督)を初代監督に迎え、創部しました。

 学校には総合学科と通信制普通科があり、女子マネジャー1人を含む全野球部員44人が総合学科のスポーツコース・野球専攻の生徒です。午前中は那覇市内の校舎で授業を受け、午後はバスで移動し、少し南の糸満市の野球場で練習します。その練習も授業という位置付けなのが特徴的です。

 「立ち上げたはいいものの、最初は生徒が集まらなかった」と神山監督。中学の指導者らに「新しい歴史をつくれるのはうちしかない」などと地道な説明を繰り返したといいます。昂さんの実績や、野球に打ち込める環境、卒業後をにらんだ資格取得ができるカリキュラムなどにひかれ、入学する生徒が増えたそうです。

 興南や沖縄尚学、沖縄水産、浦添商などの伝統校が甲子園の常連の沖縄で、剛史さんが監督を引き継いだ20年夏にはコロナ禍で開かれた独自大会で準優勝。22年以降は夏の沖縄大会で常に8強以上に。甲子園まであと一歩となった今では、離島からも入学者が来るようになりました。

 花城朗維(らい)主将(2年)は約300キロ離れた宮古島から沖縄本島に来て、一人暮らしをしながら学校に通っています。「一つ上のいとこが入っていたこともあり、一緒に甲子園に行きたいと思って入った」と話します。また「練習で疲れた後に食事を作ったり洗濯したりして、親のありがたみが本当に分かった」とも。浜元龍馬投手(同)は久米島出身で「野球につぎ込める時間が長いのでKBCに来た」。きょうだい4人での暮らしは「自分で考えて行動することが多くなった」と話します。

 僕も高校時代、実家の群馬から早稲田実(東京)に通うのが遠かったので、兄と都内で二人暮らしをしていた時期がありました。その頃の苦労を思い出しました。

 一方、沖縄からは県外の高校に出てしまう球児が多いそうです。「そういった子に沖縄の学校が魅力的に感じてもらえるようなチームをつくらないと。甲子園で一つでも勝てるチームにしたい」と神山監督。花城主将は「親を甲子園に連れて行って喜ばせたい」と話します。

 沖縄特有の事情の中で甲子園を目指す球児たちのたくましさを感じました。