プロボクシング元WBA、WBC、IBF世界ヘビー級王者ジョージ・フォアマンさんが21日(日本時間22日)に死去した。76歳だった。フォアマンさんの家族が故人のSNSで発表した。米国代表として出場した1968年メキシコ市五輪で金メダルを獲得…

 プロボクシング元WBA、WBC、IBF世界ヘビー級王者ジョージ・フォアマンさんが21日(日本時間22日)に死去した。76歳だった。フォアマンさんの家族が故人のSNSで発表した。米国代表として出場した1968年メキシコ市五輪で金メダルを獲得すると翌年プロデビュー。「キンシャサの奇跡」といわれるムハマド・アリさん(米国)との死闘など数多くの名勝負を繰り広げた。牧師として積極的に慈善活動に取り組んでいた。プロ通算成績は76勝(68KO)5敗。

  * * *

 異論反論を承知の上で、あえて言う。「ジョージ・フォアマンこそ史上最強のヘビー級王者だった」と。

 「ムハマド・アリにKO負けしている」というが、再戦していればフォアマンが勝っていただろう。「マイク・タイソンより上か?」と問われたら、その通りと答える。だから、タイソンはフォアマンを恐れ、対戦を拒んだ。

 フォアマンのプロ歴は、〈1〉20歳~28歳、〈2〉38歳~48歳と2つに分かれる。メキシコ市五輪金メダル後の20代の頃、力まかせに敵をねじ伏せていた。だが、再起後は老かいなスタミナ配分を会得した一打必倒のカウンターパンチャーに変身。再起後、倒し方のノウハウをマスターした。圧力をかけ続け、相手が出てくる瞬間、ノーモーションの左ストレートで倒した。タイミング合わせは見事で、まさに真の強打者だった。

 1970年代にヘビー級に4強がいた。ムハマド・アリ、ジョー・フレージャー、ケン・ノートン、そしてフォアマンだ。73年、王座を奪取した時、フォアマンのアッパー攻撃で王者フレージャーの体が空中に浮いた。アリのアゴを粉砕したノートンが、フォアマンに対するとわずか2回で3度倒され粉砕された。

 運命のいたずらか、列強たちは全盛期にリングから離れた。アリは兵役拒否のためライセンス剥奪(はくだつ)。タイソンは性加害による収監。フォアマンは28歳から38歳まで伝道師に従事。フォアマンがもし良き指導者の下、ブランク期間に技量を磨いていればもっと数多くの記録を樹立していただろう。

 ボクシングのような激しい格闘技で、45歳にして20年ぶりに再び王座獲得というのはヘビー級では奇跡だった。カムバック後、イベンダー・ホリフィールドの王座に挑み、善戦健闘むなしく敗れた試合では、「世代間の戦い」「中年の星」などと呼ばれ、世界的に話題を集めた。あれは「まだまだ若いものには負けない」という中年世代への熱い応援歌だった。

 同時代のファンとして、フォアマンの雄姿をリアルタイムで見られたのは実に幸運だった。合掌。(国際マッチメーカー・ジョー小泉)