世界経済をリードするアメリカのインフレが止まらない。日本も含めた地球規模の悪影響が懸念される中、蹴球放浪家・後藤健生の脳内では、「2つのワールドカップとインフレの記憶」が呼び起された。■アフリカ南部で「12桁」の大規模デノミ ハイパー・イ…
世界経済をリードするアメリカのインフレが止まらない。日本も含めた地球規模の悪影響が懸念される中、蹴球放浪家・後藤健生の脳内では、「2つのワールドカップとインフレの記憶」が呼び起された。
■アフリカ南部で「12桁」の大規模デノミ
ハイパー・インフレーションとして、第1次大戦直後のドイツと並んで有名なのが、アフリカ南部のジンバブエです。
もともとは「南ローデシア」という英国植民地でしたが、1965年に「ローデシア共和国」として一方的独立宣言をした白人政権が人種差別政策を推し進めていましたが、1980年に黒人政権が発足。「ジンバブエ共和国」として独立しました。しかし、2000年頃からロバート・ムガベ大統領の独裁政権が白人が経営していた農園を接収し、多くの白人を国外追放したことで経済が破綻し、インフレーションが始まりました。
途中で10桁、12桁という大規模なデノミが行われましたが、ジンバブエ・ドルの価値は下がり続けます。
ジンバブエはドイツのような主要国ではありませんが、直近のハイパー・インフレーションだから有名なのでしょう。
■子どもたちが「道端」で売っていたのは
僕は2010年の南アフリカ・ワールドカップの後、ジンバブエに観光に行きました(「蹴球放浪記」第13回「滝を見に行く」の巻)。その頃には、もうジンバブエ・ドルは姿を消し、あらゆる取引が外国通貨で行われていました(実際に流通しているのは米ドルか南アフリカのランド紙幣)。
そして、道端では子どもたちが外国人観光客に旧ジンバブエ・ドル紙幣を売っていました。この紙幣は、法定通貨として流通していた時代よりも土産物時代のほうが価値が高かったのではないでしょうか?
現在、日本ではコメの価格が昨年の同時期に比べてほぼ2倍になるなど、物価高が庶民の暮らしを直撃していますが、これは通常のインフレーションの話。ドイツやジンバブエのようなハイパー・インフレーションというものは、まったく桁違いです。
■「幸せだった」日本円が高かった時代
その国の通貨の価値が下がるということは、逆に言えば外貨の価値が上がることです。
僕は、昔、外務省OBたちと仕事をしたことがあったのですが、その中に第1次世界大戦直後のドイツ勤務を経験した元外交官がいました。外貨(ドルとか、円)さえ持っていれば、どんな贅沢をしても金が減らなかったそうです。
羨ましい限りです……。僕は、幸か不幸か、そんなハイパー・インフレーションの社会に身を置いた経験はありません。アルゼンチンには何度も行っていますが、最初に訪れたのは1978年ですから、ハイパー・インフレーションより前でしたし、21世紀にはインフレは収まった後でした(ただし、緊縮財政による生活難の時代)。
ですから、元ドイツ勤務の外交官のような贅沢はしたことがありませんが、でも、1990年代から2000年代は1年のうち3~4か月は海外に行っていたのですが、日本円が高い時代(最も高い時期には1米ドル=80円!)だったので、世界中のほとんどの国で「ああ、日本より安くて助かるなぁ」と思えました。幸せな時代だったと言えるでしょう。