春夏通じ初めての甲子園で名門広島商に2-10の完敗 第97回選抜高校野球大会は21日、21世紀枠で春夏を通じ初の甲子園出場を射止めた横浜清陵が、1回戦で名門・広島商と対戦し2-10の完敗を喫した。しかし、神奈川県の公立校としては1997年春…
春夏通じ初めての甲子園で名門広島商に2-10の完敗
第97回選抜高校野球大会は21日、21世紀枠で春夏を通じ初の甲子園出場を射止めた横浜清陵が、1回戦で名門・広島商と対戦し2-10の完敗を喫した。しかし、神奈川県の公立校としては1997年春の横浜商以来28年ぶりの聖地登場に、応援団が陣取る三塁側アルプス席は沸き立っていた。
数多くの強豪私立がひしめく神奈川にあって、公立校ながらコンスタントに上位進出を果たしてきた実績を評価され、21世紀枠で選抜された横浜清陵。初めての甲子園で応援団長を務めたのは、190センチ、90キロという人並外れた体格の持ち主、中川虎之介さんだった。
野球部OBで、最後のシーズンとなった昨夏の神奈川大会(3回戦敗退)では、背番号「10」を付け控え投手としてベンチ入りしていた。今年1月に後輩たちの選抜出場が決まると、野原慎太郎監督から応援団長に指名された。「指名された理由は、後輩と仲がいいからだと思います。単になめられているだけかもしれませんが、同級生からは“トラ”とか“トラちゃん”、後輩からも“トラさん”と呼ばれていて、“中川さん”なんて呼ばれたことがないです」と相好を崩した。
制服に身を包み、スクールカラーのブルーの鉢巻を締め、募集に応じた4人の応援団員(サッカー部男子2人、“帰宅部”女子2人で、いずれも新3年生)を率い、パワフルに応援をリードした。広いアルプス席のどこから見ても、大柄な体が目立つところがいい。
中川さん自身は現役時代、1年生の冬に右肩を痛め、ほぼ1年間を棒に振るなど、思うような活躍ができなかった。それでも、後輩たちの甲子園出場が決まった時には「思わず机を振り回してしまったほど、うれしかった」と言う。3月3日に卒業式を済ませたが、「卒業した感じは全然なくて、毎日学校に通ってきましたし、選抜が僕にとっての卒業式なのだと思います。大好きな後輩たちと高校生活の最後を過ごせるのは、最高です」と感慨深げだ。
「現役時代から献身的でチームのために頑張れる選手でした」
進学が決まっている桜美林大では、野球を続けるつもりはない。「野原監督からは『おまえ、お笑いタレントを目指したらどうだ?』と言われたのですが、自分には人を笑わせる才能はないと思うので、大学では演劇をやってみたいと思っています」と明かした。
グラウンド上では、後輩たちが異様な緊張感に翻弄されていた。初回の守りでは無死一塁で、送りバントの打球を処理した投手からの送球を、一塁手がはじいてオールセーフ。1死二、三塁の場面では、平凡なゴロを捕球した二塁手の一塁送球が大きくそれ、先制点を献上した。その後、相手にセーフティスクイズを決められ、この回2点先行を許すと、1度失った試合の流れはもう戻って来なかった。
敗戦後、野原監督は「チームを持ち直す術を持っていなかった自分の責任を、痛感しています」とうなだれた。今は公立校を率いている野原監督だが、自身の高校時代には私立の名門・東海大相模で投手として活躍し、3年生の春には控えながら選抜大会優勝メンバーとなった。それだけに、実力を出し切れなかった横浜清陵ナインの状況を、なかなか受け入れることができなかったようだ。
それでも、中川さんを応援団長に指名した理由を聞くと、「現役時代から献身的で、チームのために頑張れる選手でした。人から好かれるキャラだし、彼が生きるポジションかなと思ったので、お願いしました」と話した。
少々苦い味ではあったが、横浜清陵の甲子園出場の思い出は、実際にグラウンドに立ったナインにとっても、アルプス席で見守った中川さんにとっても、今後の人生の支えとなっていくに違いない。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)