絶対に諦められない――。第97回選抜高校野球大会に初出場する千葉黎明の小手海星(おてかいせい)捕手(2年)は、昨年11月の練習中に球が首を直撃し、入院を余儀なくされた。復帰直後には再び同じ部分に球を受け、2度目の入院。それでも努力を…

絶対に諦められない――。第97回選抜高校野球大会に初出場する千葉黎明の小手海星(おてかいせい)捕手(2年)は、昨年11月の練習中に球が首を直撃し、入院を余儀なくされた。復帰直後には再び同じ部分に球を受け、2度目の入院。それでも努力を重ね、甲子園の背番号「16」を勝ち取った。
練習中に意識を失い
小学1年のときにテレビで見た甲子園の試合が、野球を始めるきっかけの一つだった。捕手は小学生から始め、捕手出身の中野大地監督が指揮を執る同校の門をたたいた。
チームは昨秋の関東大会で4強入りし、センバツ出場に大きく前進した。だが、自身は代打で1打席の出場にとどまった。「この冬を乗り越えて強くなろう。甲子園のグラウンドに立とう」。直後に事故は起きた。
打撃練習中に球が首の後ろを直撃し、意識を失った。
「ここはどこだろう?」
救急車の中で気がついたが、体が言うことを聞かない。そのまま入院し、医師からは頸椎(けいつい)損傷の疑いがあり、「体にまひが残るかもしれない」と告げられた。
少しずつ体を動かせるようになり、リハビリに励んだが、しばらくは足を床につけても立っている気がせず、物を握る感覚もなかった。センバツを目指すためには大切な時期。「信じられず、勝手に涙が出てきた」
医師からは1、2カ月は激しい運動を控えるように言われた。だが、じっとしていられなかった。数日後に退院すると、翌日には部活に顔を出した。グラウンドでプレーする仲間を横目に落ち葉拾いを始めた。一緒に練習の手伝いをしていた母由美さん(48)は息子の姿に「涙が止まらなかった」と話す。
練習に復帰するも再び……
まひは徐々に改善し、12月末には感覚が戻ってきた。年末年始には自宅の庭で、父和徳さん(54)を相手にトレーニングを始めた。中学時代からチームメートだった鈴木柊翔(しゅうと)投手(2年)を誘い、早朝練習にも励んだ。鈴木投手は「遅れを取り戻したいという思いが強かったのだと思う。弱音を吐かず頑張る姿に心を打たれた」と振り返る。
しかし、センバツ出場が決まった直後の2月、練習中にほぼ同じ場所に球を受け、再び入院することになった。けがで球に対する恐怖心が生じ、体を背けたことが理由だった。
「終わったな」。けがをして以来、体調が優れず、思うようなプレーもできていなかった。一度は気持ちが切れかかった。でも、諦めきれなかった。「甲子園に出場できる最初で最後のチャンスかもしれない」。退院するとすぐにグラウンドへ戻った。
体力が落ち、走り込みは肩で息をしながら、時には1周遅れになることもあったが、最後まで走り抜いた。片手で68キロあった握力は右が25キロ、左が32キロまで落ちた。打席では恐怖心が頭をよぎった。「ここでびびったら野球はもうできない」と自らを奮い立たせた。
努力でつかんだ背番号「16」
そんな努力を、中野監督は見ていた。逆境に強い小手捕手の底力がチームには欠かせないと考え、背番号「16」を託した。中野監督は「芯が強く、チームの勝利に貢献しようという気持ちも大きい。得点につながる場面で代打に起用したい」と期待をかける。
2度のけがを乗り越え、臨む甲子園。思い入れはさらに強くなった。「野球の神様が見てくれていたんだと思う。両親や支えてくれた人にはありがとうしかない。誰よりも元気に声を出し、球場をどよめかせる打撃をしたい」。憧れの舞台で感謝の思いを伝えたい。【近森歌音】