アルプス席には61歳神先信哉総監督の姿があった 第97回選抜高校野球大会は第2日の19日、春夏通じて初の甲子園出場の滋賀短大付が、5年連続12回目の選抜出場の敦賀気比(福井)との1回戦に臨み、0-15の大敗を喫した。それでも自前の練習用グラ…

アルプス席には61歳神先信哉総監督の姿があった

 第97回選抜高校野球大会は第2日の19日、春夏通じて初の甲子園出場の滋賀短大付が、5年連続12回目の選抜出場の敦賀気比(福井)との1回戦に臨み、0-15の大敗を喫した。それでも自前の練習用グラウンドを持たないチームの奮闘は、夏へつながるはずだ。

 滋賀短大付は2008年に男女共学となるまで、県内唯一の女子校として長い歴史を持っていた。野球部は2009年に創部されたが、学校のグラウンドは野球ができる広さがなく、平日の練習には車で約30分かかる瀬田市内にグラウンドを借り、週末は他校での練習試合を組むようにしていた。

 決して恵まれた環境ではなかったが、チームはエースの左腕・櫻本拓夢投手(3年)が昨秋の近畿大会初戦で、強豪の履正社(大阪)を相手に9回7安打1失点完投し、4-1で破る“金星”を挙げ甲子園切符を引き寄せた。

 今大会のベンチ入りメンバー20人のうち、この日も先発して4回1/3、6失点だった櫻本、5回途中から2番手で登板し3回2/3、9失点(4自責点)という結果だった中井将吾投手(3年)をはじめ6人が、中学時代に軟式の「湖南クラブ」でプレーしていた。中学野球は、学校の部活が軟式、シニアリーグやポニーリーグなどのクラブチームは硬式が多いが、滋賀県や京都府には軟式の強豪クラブチームもある。

 この日、滋賀短大付の応援団が詰めかけた三塁側アルプス席には、61歳の湖南クラブ・神先信哉総監督の姿もあった。就任19年目の昨年秋、監督から総監督に一歩引いたという。いまだNPBに選手を輩出したことはないが、お笑いコンビ「ティモンディ」のボケ担当で、“芸能人最速”とされる142キロを誇り、BCリーグ栃木に投手として在籍している高岸宏行さんも教え子の1人だ。「彼は中学時代、軟球で133〜134キロの球を投げていましたね」と振り返る。

 左腕の櫻本には「私は左投手にはいつもそうですが、右打者の内角に突っ込むストレートばかりを練習させました」と明かす。

「送球の時に腰がきれいに横回転しているから、サイドスローをやってみたら?」

 一方、滋賀短大付へ進学後、右のサイドスロー投手として大変身したのが中井だ。湖南クラブでは控えの一塁手だったが、中学卒業を前に、神先総監督から「おまえは送球の時、腰がきれいに横回転しているから、高校でサイドスローをやってみたら?」とアドバイスを受けたことがきっかけだった。甲子園のマウンドに上がる夢をかなえた中井は、「神先監督に感謝しています」と感慨深げだった。

 野球少年が中学に進学する際、軟式か硬式かの選択に悩むケースは多い。神先総監督は「体ができている子は硬式に挑戦してもいいと思います。小柄な子は負担の少ない軟式でプレーし、高校から硬式に変えても、1〜2か月で慣れます。ハンデにはならないと思います」と持論を述べる。実際、櫻本は今も162センチ、57キロで甲子園出場チームのエースとして小柄だ。

 夢にまで見た甲子園での初戦は大敗に終わったが、神先総監督は「彼らには湖南クラブにいた時から、『負けない選手が強いのではない。人生ではコケた時にどう立ち上がるかが大事だ』と言ってきました」と語る。湖南クラブ出身者を含む滋賀短大付の選手たちには、まだ夏もある。

 中井は「調子はよかったです。純粋に力不足でした。敦賀気比はヤバい。僕が経験したことのない強さでした」と脱帽しつつ、「全体的にレベルアップして、(甲子園に)帰ってこられたらいいなと思います」とボルテージを上げた。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)