横浜高は昨秋の新チーム結成から無傷の公式戦16連勝 破格のスケールの2年生右腕が、甲子園デビューを飾った。横浜(神奈川)の織田翔希投手(2年)は19日、第97回選抜高校野球大会第2日の市和歌山戦に先発し、5回2失点(1自責点)。初回先頭の津…
横浜高は昨秋の新チーム結成から無傷の公式戦16連勝
破格のスケールの2年生右腕が、甲子園デビューを飾った。横浜(神奈川)の織田翔希投手(2年)は19日、第97回選抜高校野球大会第2日の市和歌山戦に先発し、5回2失点(1自責点)。初回先頭の津本峰月外野手(2年)に対する4球目が、自己最速を1キロ更新し152キロをマークした。チームは4-2で勝ち、昨秋の新チーム結成以来、無傷の公式戦16連勝となった。
実は、織田は11日の大阪入り直後に胃腸炎を患い、14日の甲子園練習までほとんど投げられない状態だった。村田浩明監督は「織田本人は『大丈夫、大丈夫』と言っていましたが、絶対大丈夫でない顔をしていました。点滴を打って、ただでさえ細身なのに、げっそりしていた」と明かす。織田は背番号「10」で、チームにはエースナンバー「1」を背負う大黒柱の奥村頼人投手(3年)もいる。それでも、村田監督には“先発・織田”にこだわりたい理由があった。
「中学時代に大舞台の経験がなかった織田が、甲子園で注目されながら、どこまでプレッシャーをはねのけられるかを見たかったのです。織田本人にも“おまえの野球人生の第2章”と言ってきました」
福岡県出身で足立中3年の夏に軟式で143キロを計測し、早くも評判になっていた織田に、ふさわしい舞台を与えて開花を促したかった。「この舞台で1イニング、1球でも投げると、高校生は物凄い伸び率を示すことがあります。甲子園は別人のように変われる場所なのです」と村田監督はうなづく。そして、「もし織田がダメでも、奥村頼がずっと絶好調で、彼が後ろにいれば安心ですから」とも付け加えた。
織田は2回までパーフェクトに抑え3奪三振。3回は1死から右前打を許すも、直後に116キロのカーブを打たせて遊ゴロ併殺に仕留めた。しかし、4-0とリードして迎えた4回に、2死から連打を浴びた上、振り逃げで1点を献上。5回にも2死一、二塁から中前適時打を許した。5回83球、5安打2失点、5奪三振1四球の甲子園デビューに、織田は「悔しい結果でマウンドを降りました。これをどう改善するかによって、2回戦、3回戦の結果につながっていくと思います」と顔をしかめた。6回以降は打線でも4番を担う奥村頼が、4回無安打無失点、1四球で締めくくった。
織田翔希の名前は「大谷翔平さんの翔、佐々木朗希さんの希」
織田自身にとっては不本意な投球だったが、185センチ、72キロの体はマウンド上でもっと大きく見え、迫力満点だった。村田監督は「今後心配なのは怪我ですが、織田は僕が今まで出会ってきた選手の中で一番、ケアやトレーニングについて勉強しています。ケアしてくださるトレーナーさんもいて、これなら大丈夫だとか、今は投げない方がいいとか、僕にはわからないところまで診てくださる。思い切って伸びることができる環境なので、まだまだ体重も増やして“恐ろしい投手”になってほしい」と期待を込める。
横浜OBには甲子園史上最高のレジェンドの1人、松坂大輔氏もいる。村田監督は「僕自身、(6歳上の)松坂さんに憧れて横浜に入学した経緯があるので、織田に松坂さんのような投手になってほしい、そんな選手を僕が監督したい気持ちがあります」と打ち明ける。
その一方で「織田翔希の名前は、大谷翔平さんの翔、佐々木朗希さんの希。もちろんそこから取ったわけではありませんが、そんな投手になってほしいです」と夢を膨らませる。織田が甲子園デビューを飾った日に、ドジャースが東京ドームでMLB開幕2戦目を戦い、大谷翔平投手と佐々木朗希投手がスタメンに名を連ねたのも、何かの縁かもしれない。
横浜は昨秋の明治神宮大会で優勝したが、これは松坂氏を擁した1997年以来27年ぶりだった。“松坂世代”は翌春の選抜、夏の甲子園大会も制し、無敵の44連勝を歴史に刻んでいる。現在のチームも、その最強世代と比較される立場にいる。重圧をはねのけ、偉大な世代に肩を並べるためには、未完の大器の才能開花がせひとも必要だ。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)