18日に開幕した第97回選抜高校野球大会に初出場を果たした滋賀短大付のマネジャー・広谷聖哉菜(さやな)さん(新3年)が野球部に入ったのは、同校で外野手だった4学年上の兄・啄哉(たくや)さんがきっかけだ。兄が憧れた甲子園は、いつしか自分の夢…
18日に開幕した第97回選抜高校野球大会に初出場を果たした滋賀短大付のマネジャー・広谷聖哉菜(さやな)さん(新3年)が野球部に入ったのは、同校で外野手だった4学年上の兄・啄哉(たくや)さんがきっかけだ。兄が憧れた甲子園は、いつしか自分の夢になった。
滋賀短大付は昨秋の近畿大会で8強入り。近畿地区から6校の選抜出場校に選ばれた。
吉報が届いた1月24日、空に帽子を飛ばしながら思った。「お兄ちゃんが、祈っててくれたんかな」
兄は高校通算1打席。裏方のムードメーカーだった。試合で後輩が久々にいい当たりを打つと、笑顔で道具を受け取りに駆け寄るほどお人よし。その姿は今、遺影のなかに納まっている。
高校3年生だった2022年1月2日、自転車で道路を渡ろうとして自動車にはねられ、亡くなった。通夜には想定の倍以上の友人たちが詰めかけた。いつも自分のことは後回しにする、優しい兄だったからだと思う。
「後輩の朝練を手伝うから」と朝早く登校していた。女手一つできょうだい4人を育てる母・香菜さんの誕生日は、3度告白した末に交際した大好きな彼女からの誘いも断って自宅で過ごした。
別れの時、棺(ひつぎ)で眠る兄の手を握った。マメでごわごわとしていた。兄のチームメートは「一番バットを振っていた」と言う。もやもやした。「お兄ちゃんがやってきたことまで、この世からなくなってしまう気がして嫌だった」
自身は中学まで水泳に打ち込み、県内の強豪校への進学を考えていた。しかし、葬儀で感じた思いは、なかなか消えなかった。兄と同じ高校に進み、野球部でマネジャーになると決めた。
「選手ではない」立場に慣れるには少し時間がかかった。重い荷物を運ぶ傍ら、グラウンドでふざける部員の姿に傷ついたこともあった。心から誰かを思って、さりげなく動けていた兄は「ちょっとイケてた」。
兄は18歳で突然人生がたたれた。部員たちには「野球ができる時間を無駄にしてほしくない」と願う。だから、自分なりにチームを思って動くようにした。
効率よく荷物を運べる順番を考え、捕手の動きを気にして防具の着け外しを手伝う。手の空いた部員へ具体的に指示も出すようにもなった。たくさんの人と関わることは苦手だったが、少しずつ変われた気がする。
選抜出場が決まった日の夜、自宅で仏壇の遺影を見つめた。「野球部も、私も変わったよ」。つらいこともあったけど頑張っていること、高校生活をかけて同じ目標を追う仲間に出会えたこと。「お兄ちゃんのおかげだった」
将来はスポーツトレーナーになりたい。誰かの努力が無駄にならないようにしたい。それが自分が前に進む原動力にもなる。まだ風が冷たい甲子園で、思いは深まった。(平田瑛美)