連載第41回 サッカー観戦7500試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」 現場観戦7500試合を達成したベテランサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。 今回は、チャンピオンズ…

連載第41回 
サッカー観戦7500試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」

 現場観戦7500試合を達成したベテランサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。

 今回は、チャンピオンズリーグのラウンド16でも話題になった「PK戦」の歴史です。トーナメント戦で引き分けた場合の勝者決定方法として、批判はあるもののこれ以上の合理的な解決法は見つかっておらず、長く採用されています。


大規模大会の決勝で初めてのPK戦は1976年の欧州選手権。チェコスロバキアのパネンカがチップキックでゴールを決める

 photo by Getty Images

【引き分けの場合かつては再試合をしていた】

 3月11日と12日に行なわれたUEFAチャンピオンズリーグ(CL)のラウンド16セカンドレグではリバプール対パリ・サンジェルマン、アトレティコ・マドリード対レアル・マドリードという注目カードがともにPK戦決着となった。

 マドリードダービーではアトレティコが開始28秒で2試合合計得点を1対1に戻したものの、その後はスコアが動かないままPK戦に突入。アトレティコの2人目フリアン・アルバレスのキックはVARが介入してダブルタッチと判定されゴールが認められず、物議を醸すことになった。

 CLではアウェーゴールルールが撤廃されたので、今後もPK戦に突入するケースが多くなることだろう。

 サッカーというのは得点が入りにくいスポーツなので、必然的に引き分けが多くなる。

 1888年にイングランドで世界最初のフットボールリーグが結成された時も引き分けの扱いが問題になり、勝利には勝点2、引き分けには勝点1を与えるとことになった。その後、勝利時の勝点が3に変更となったが、約1世紀半が経過した現在でもリーグ戦では勝点によって順位が決められている。

 問題は、ノックアウト式トーナメントだった。引き分けの場合、勝者(厳密に言えば「次ラウンドへの進出チーム」)をどうやって決めるのか......。

 1871年創設のFAカップでは1990-91シーズンまでは決着がつくまで再試合を繰り返していた。6試目で決着したこともあったそうだ。だが、試合日程が過密化し、プレー強度も上がってくると再試合の実施は難しくなり、今では伝統あるFAカップでも再試合は行なわれなくなった。

 W杯でもかつては再試合が行なわれていた。

 1934年のイタリアW杯では、準々決勝のイタリア対スペイン戦が多くのケガ人を出す大乱戦の末に1対1の引き分けに終わったので翌日再試合が行なわれ、ジュゼッペ・メアッツァの得点でイタリアが1対0で勝利し、開催国優勝につなげた。

 4年後の1938年フランスW杯では開幕戦のスイス対ドイツなど3試合が再試合となっている(この両大会は16カ国参加で行なわれ、グループステージなしで最初からノックアウト式だった)。

【抽選で勝者を決めていたことも】

 1920年代にはCKの数で勝敗を決める大会もあったし、1950年代にはたとえばコッパ・イタリアなど各国の国内大会や小規模の国際大会でPK戦が行なわれたこともあったようだが、大規模大会では抽選で「勝者」を決めていた。

 1956年のメルボルン五輪予選で日本は韓国と対戦。第1戦は2対0で日本が先勝したが、第2戦では同スコアで韓国が勝利。30分の延長でも決着がつかなかったのでピッチ上で抽選が行なわれ、日本の竹腰重丸監督が「ビクトリー」と書かれた紙の入った封筒を引き当てた。しかし、武士道精神を持つ竹腰監督は「ビクトリー」の文字を見ても表情ひとつ変えなかったので、選手も観客も勝ったことがわからなかったという。

 1968年の欧州選手権(ユーロ)準決勝では開催国イタリアとソビエト連邦がスコアレスドローに終わり、抽選の結果イタリアが決勝進出を決めた。ちなみに、イタリアとユーゴスラビアとの決勝戦も1対1で引き分けに終わったが、決勝戦は再試合が行なわれ、イタリアが勝利して優勝を遂げた。

 同じ1968年のメキシコ五輪でも抽選が行なわれた。イスラエルは準々決勝で強豪ブルガリアと引き分けたが、抽選で敗退してしまった。そこで、イスラエル協会の役員ヨセフ・ダガンがFIFAにPK戦の採用を提案。1970年の国際サッカー評議会(IFAB)でPK戦の採用が認められた。

【PK戦の採用】

 PK戦方式の採用は同年のメキシコW杯には間に合わなかったが、幸いノックアウトステージで引き分けに終わった試合はなかった。イタリア対西ドイツの準決勝は終了直前に西ドイツが1対1の同点に追いついて延長戦に入ったが、点の取り合いの末4対3でイタリアが勝利した。

 W杯でPK戦が採用されたのは1974年西ドイツW杯からだったが、この大会と4年後の1978年アルゼンチンW杯では1次リーグ、2次リーグ方式だったのでPK戦の可能性があったのは決勝と3位決定戦だけだ。そして、決勝戦では引き分けに終わった場合、再試合が行なわれることになっていた。

 アルゼンチンW杯決勝はアルゼンチンとオランダの対戦となり、1対1で延長に入ることになった。すると、延長戦開始前に「再試合の場合、試合終了後にスタジアムで入場券を販売する」というアナウンスがあった。僕は現金をたくさん持ってきていなかったので「どうしたらいいだろうか?」と心配したのを覚えている(当時は、まだクレジットカードは普及していなかった)。

 ちなみに、延長戦ではアルゼンチンが2ゴールを決めて優勝。史上初のW杯決勝の再試合は行なわれなかった。

 第2次世界大戦後のW杯では、1978年大会まで幸運なことにノックアウトステージで引き分けに終わって抽選やPK戦が行なわれたことは1回もなかった。

 大規模大会の決勝で初めてのPK戦は1976年の欧州選手権だった。決勝戦はチェコスロバキアにリードされていた西ドイツが終了間際に追いついて2対2の引き分けに終わった。そして、PK戦では西ドイツの4人目のウリ・ヘーネスが失敗。すると、チェコスロバキアの5人目アントニン・パネンカはGKのゼップ・マイヤーをあざ笑うようなチップキックを決め、それ以降PK戦でのチップキックは「パネンカ」と呼ばれることになった。

 W杯史上初のPK戦は1982年スペインW杯の準決勝だった。この大会も1次、2次リーグが行なわれたのでPK戦の可能性があったのは準決勝以降の4試合だけだったが、最初の準決勝、西ドイツ対フランス戦がPK戦にもつれ込んだ。

 この試合、1対1のまま延長戦に突入すると、フランスが98分までに2点を奪って誰もが「勝負あり」と思った。だが、どんな時でも諦めないのが西ドイツ(日本では、それを「ゲルマン魂」と呼んでいた)。カールハインツ・ルンメニゲとクラウス・フィッシャーのゴールで追いついた西ドイツは、PK戦で勝利して決勝進出を決めた。

 このドラマティックな準決勝。僕はセビージャのサンチェス・ピスフアンのゴール裏で観戦していたので、歴史的なPK戦をまさに目の前で見ることができた。

 その後、PK戦決着は増加していく。

 1994年アメリカW杯決勝のブラジル対イタリア戦はスコアレスドローに終わり、決勝戦史上初のPK戦ではイタリアの攻守の要、フランコ・バレージとロベルト・バッジョが失敗してブラジルが優勝。

 2006年のドイツW杯、そして2022年カタールW杯でも決勝戦は引き分けに終わり、PK戦の末にイタリア、アルゼンチンが優勝を決めている。とくにカタールW杯ではノックアウトステージの16試合中、決勝戦を含む5試合がPK戦決着となった。

【一層重要度を増すPK戦】

 PK戦というのは抽選のようなものだと言われ、とくに伝統国では批判も多いが、PK戦以上の合理的な解決法は見つかっていない。

 だが、PK戦は「運」だけの勝負ではない。情報戦でもあるのだ。キッカーやキック順などは相手GKとの相性や疲労度などを考慮して決めるべきだろう。パネンカにやられた後、西ドイツはPK戦を徹底的に研究。PK戦では絶対の勝率を誇っている。

 カタールW杯のクロアチア戦の後、日本代表の森保一監督は「キッカーの選択は選手に任せた」と語ったが、これではいけない。

 日本はW杯でラウンド16に4度進出しているが、うち2度もPK戦で敗退しているのだ。2026年のW杯はラウンド32からノックアウトステージに入るから、PK戦は一層重要度を増す。PK戦に備えて万全の準備を行なうべきだろう。

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