野口茂樹氏は2008年オフに巨人から戦力外→米球界を目指した 元中日、巨人左腕の野口茂樹氏はプロ16年目(2008年)のオフにメジャーリーグに挑戦した。2005年オフにFAで巨人に移籍したが、左肘痛に苦しみ、移籍3年目のその年に戦力外通告を…

野口茂樹氏は2008年オフに巨人から戦力外→米球界を目指した

 元中日、巨人左腕の野口茂樹氏はプロ16年目(2008年)のオフにメジャーリーグに挑戦した。2005年オフにFAで巨人に移籍したが、左肘痛に苦しみ、移籍3年目のその年に戦力外通告を受け、最終的に海を渡ることを目指した。「アメリカの方が気候なども肘にいいかと思ったんです」。しかし、それも叶わなかった。ブルージェイズとマイナー契約を結ぶところまでいきながら、最後のメディアカルチェックで左肘が引っかかった。

 FAで巨人に移籍し、1年目(2006年)は左肘の違和感でわずか1登板の0勝0敗、防御率9.00。中継ぎに回った2年目(2007年)は当初、好調だったが、5月に左肘痛を発症した。そのままの状態で投げ続けたものの、8月中旬に2軍落ちしてからは1軍に呼ばれることなく、31登板、1勝1敗、4ホールド、防御率4.30で終わった。オフには年俸1億円から2500万円(金額はいずれも推定)に大減俸。野口氏には何ともつらい日々だったが、それは3年目も続いた。

 結局、左肘痛を抱えたまま、春季キャンプに突入。「キャッチボールから痛かったし、毎日、投内連係もやりますから、もう痛い、痛い。ブルペンでは痛みのないところを探しながら投げていました。FAで移籍してきて、やらないといけないのは当たり前ですから。それはそれでしょうがないことなんですけどね」。だが、そんな状態では1軍の戦力になれなかった。「この年も下(2軍)では投げましたよ。でも、自分の投球には程遠いですからね……」

 1軍で登板することなく、10月に戦力外通告を受けた。「何もしていないですからね。しょうがないと思いました」。ただし、ユニホームを脱ぐことは考えなかったという。「肘が何とか治って、もう1回投げたいというのがあったんでね」。NPB他球団とは縁がなかったものの、最終的には海を渡ってみようと考えた。「アメリカの方が気候もからっとしているから肘にもいいかと思ったし、向こうで投げて向こうの野球も分かっていたので、それもありかなってね」。

 野口氏はプロ2年目(1994年)にロッキーズ傘下1Aセントラルバレーに野球留学。当時も高校時代に痛めた左肘に不安があったが、米国では問題がなかったどころか、球速もアップするなど成長を遂げて、その後の飛躍につなげた。野口氏の場合、米国の滑るボールはフォーク系のボールを投げるのに適したそうで「スライダーでひねるものが、挟んで落として、真っ直ぐとなると肘の使い方も投げ方も変えられる」と再び米国に目を向けたわけだ。

Bジェイズとマイナー契約目前で破談…問題視された左肘

「アメリカのエージェントの関係でテストを受けてカブスは駄目だったんですけど、ブルージェイズとはマイナー契約でキャンプに行く予定だったんです」。新たな道が開けた思いだったが、それは土壇場でひっくり返された。「キャンプの練習場に行って、ロッカーに行って、Tシャツ、短パンを『これは君のだよ』って、もらって『デカいなぁ』なんて言っていたんです。それからメディカルチェックを受けたんですが……」。そこで引っかかった。

「(左肘に)以前から骨片があるのはわかっていた。それを指摘されたら絶対アウトなんですよ。でも(巨人時代に)痛かったのは、そこではなく違うところだったので……」。悔しい結果に終わったが、どうすることもできなかった。「エージェントから『また違うところのテストを受けるか?』と聞かれたけど『残ってもメディカルでは絶対落ちる。今100%(左肘の)痛みがとれているわけではないから、同じ結果になるので(日本に)帰って手術します』と言いました」。

 野口氏が選択したのは、現状の痛みを完全になくすための手術だった。「骨片をとったら1年半はかかる。そこまでブランクができたらアメリカにはなかなかトライできない。とりあえず、その時の痛みさえとれれば、いいボールを投げてテストでも何とかなるかなぁって思ったんです」。だが、それもうまくいかなかった。「内視鏡でネズミ(遊離軟骨)みたいなのを取って削る手術だったんですが、痛みがとれなかったんですよ。何か余計痛くなってしまって……」。

 もう一度手術することにした。「関節のところを切って、穴を開けて、何か潤滑をよくするみたいな感じでやったら痛みが取れました」。自費で2度手術したかいがあったが、それも……。「これなら行けると投げはじめたんですけど、やっぱりバランスが崩れていて、今度は肩が痛くなったんです」。何とも悪い流れにはまり込んだまま、時間ばかりが経過していき、結局メジャー挑戦は断念するしかなかった。

 そんななかでも現役にはこだわった。「投げられないわけではなかったのね」。リハビリを経て2011年5月、独立リーグの三重スリーアローズに入団した。しかし、完全再起するまでには至らなかった。11月には三重の解散も決まった。「三重がなくなっちゃったので(NPBの)トライアウトを受けるかってなって受けたんですけどね」。37歳の左腕に声はかからなかった。「1年、手術するのが遅かったかなってね……」。無念そうに野口氏は振り返った。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)