サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マ…
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は「意外に長~い」その歴史。
■UAE代表は「1年」で3分の1に
アラブ首長国連邦(UAE)代表チームが3月のワールドカップ・アジア最終予選に向け、8人もの「帰化選手」を招集したことが話題になっている。3月20日のイラン戦(アウェー)、25日の北朝鮮戦(アウェーだが、サウジアラビアのリヤドで開催)に向けてポルトガル人のパウロ・ベント監督が招集したのは27人。うち8人が、ここ数年間でUAEの国籍を取得したブラジル人選手たちだ。
8人のうち4人はすでにUAE代表のキャップを持っているが、4人はまだ出場経験がない。今回初招集された中のひとりには、千葉国際高校から鹿島アントラーズに進み、2014年から2シーズン半Jリーグでプレーしたカイオ・ルーカス・フェルナンデス(Jリーグでの登録名は「カイオ」)がいる。カイオは鹿島からUAEのアルアインに移籍、その後ポルトガルのベンフィカに移籍したが、ポジションをつかむことはできず、2021年にUAEのシャルジャに移籍、昨年UAEの国籍を取得した。
ブラジル人だけではない。MFマッケンジー・ハントは、リバプール生まれの生粋の英国人。エバートンのユースで育ち、現在はイングランド3部の「フリートウッド・タウン」でプレーしている。しかし、家族とともに6歳から13歳までUAEのドバイで暮らしたことがあり、この「7年間」の実績によって昨年UAEの国籍を取得した。
昨年1~2月のアジアカップ(カタール)では、UAEの登録26選手のうち、こうした「帰化選手」はFWファビオ・リマとFWカイオ・カニェドの2人だけだった。しかし、わずか1年後に、27人のちょうど3分の1に当たる9人もが「帰化選手」で占められるようになったのである。
UAEはワールドカップ・アジア最終予選のA組で戦っているが、6試合を消化した時点で3勝1分け2敗、勝ち点10で3位。1位イラン(勝点16)、2位ウズベキスタン(同13)に次いでいる。残り4試合にはイラン、ウズベキスタンとの直接対決も含まれているので、十分、「自動出場権」の2位を狙える位置にいる。「なりふり構っていられない」状況なのである。
■インドネシアは「さらに6人」
UAEだけではない。昨年、出場選手の大半がオランダで生まれ育った「帰化選手」で占められるようになって大躍進したインドネシア(C組3位)は、新任のパトリック・クライファート監督(オランダ)がさらに6人の「帰化選手」を使う方向で動いていると報道されている。同組最下位(6位)ながら勝点ではインドネシアと並んでいる中国も、新たな「帰化選手」の手続きが進められているという。アジアのサッカーはちょっとした「帰化選手ブーム」だ。
ここまで「帰化選手」と書いてきたが、「帰化」という言葉は、サッカー選手の国籍変更にあまりふさわしくないのではないかと私は考えている。もちろん、日本の国籍を管理する法務省は、国籍を他国から日本に変えることを「帰化」と表現しているのだが、「帰化」とは、中国の古典に拠る言葉で、本来は「君主の徳に帰服すること」を意味している。
UAE代表となったブラジル人たちが、ムハンマド・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン大統領の徳に触れ、深く帰服した結果、UAE国籍を求めたわけではないだろう。彼らの最大のモチベーションは、「ワールドカップに出られる可能性」や、「所属クラブで外国人枠から除外される」などの「実利」に違いない。現代的な表現としては、「国籍変更」あるいは(二重国籍を認めている国では)「国籍取得」でいいのではないか。というわけで、以下では「国籍変更選手」とする。
■アジアで最初に「強化」した国
さて、アジアで最初に「国籍変更選手」によって代表チームを強化したのは日本ではないだろうか。ラモス瑠偉が1989年にブラジルから日本に国籍を変え、1995年まで32試合に出場した。1992年アジアカップ優勝、1993年の「ドーハの悲劇」のときの獅子奮迅ぶりは、ファンの記憶に長く残るものだった。日本代表がアジアのトップクラスに躍り出たのは、まさにこの時期だった。
彼の前にも、吉村大志郎(ネルソン、日本代表1970~1976)、与那城ジョージ(同1985)が日本サッカーリーグでプレーするうちに日本国籍を取得して日本代表にもなったが、残念ながら日本代表に何らかの歴史的業績を残すことはできなかった。ふたりとも、日本にルーツを持つ「日系ブラジル人」の選手である。
日本にルーツを持つわけではなく、日本で長くプレーする中で国籍をブラジルから日本に変え、日本代表としても活躍した選手もいる。