サッカー史に残る「一撃」となるかもしれない。サッカー日本代表でブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオン所属の三笘薫がイン…

 サッカー史に残る「一撃」となるかもしれない。サッカー日本代表でブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオン所属の三笘薫がイングランド・プレミアリーグで決めたゴールのことだ。では、どんな点がすごいのか。そのすごさをサッカージャーナリスト大住良之が解き明かす!

■三笘と同じ「天才」を感じさせた2人

 サッカーでは、相手のロングパスをヘディングでクリアするDF、なかでもセンターバックたちは、この能力がよく鍛えられている。しかし、それは正面からのボールに対してである。全力疾走しながら背後から飛んでくるボールをワンタッチでコントロールするプレーなど、誰にでもできるというものではない。

 長い取材生活のなかで、こうした点で「天才」と感じた選手が2人いる。ひとりはアルジェリア代表のFWラバー・マジェールであり、もうひとりはオランダ代表FWマルコ・ファンバステンだ。

 マジェールについては、1987年、あの「雪のトヨタカップ」で決勝点を取った選手と記憶している古いファンもいるかもしれない。彼は1958年12月15日にアルジェリアの首都アルジェで花屋を営む父親をもって生まれ、父の影響でサッカーのとりこになった。男6人、女5人の兄弟姉妹がいて、兄のモハメドは彼より才能のある選手だったというが、プロ選手にはならなかった。ラバーは最初GKだったが、後にFWとなった。

■チャンピオンズカップ「優勝」に貢献

 地元の「フセイン・デイ」というクラブでプレーしていた(1982年ワールドカップ時はこのクラブ所属)が、24歳のときにフランスのラシン・クラブ・パリ(サッカー日本代表でフィリップ・トルシエ監督の通訳として知られたフローラン・ダバディの祖父がオーナーだったクラブ)に移籍、同じフランスのツールへの貸し出しを経て1985年にポルトガルの強豪FCポルトに移籍した。1987年の欧州チャンピオンズカップ(現在のUEFAチャンピオンズリーグ)の決勝戦では、バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)を相手にヒールキックで同点ゴールを決め、逆転の決勝ゴールのときもアシストする活躍を見せて注目された。

 当時アフリカ屈指の戦力を誇っていたアルジェリア代表の中心選手として、1982年(スペイン)と1986年(メキシコ)の両ワールドカップにも出場、スペイン大会では初戦で西ドイツを2-1で下すセンセーショナルな試合で先制点を決めている。

■パスに合わせてゴールへ「全力疾走」

 1987年の9月に、私はポルトガル・リーグの試合で初めてマジェールを見た。相手はヴァルジンSCという現在は3部でプレーするクラブで、ポルトから車で30分ほど北に行ったヴァルジンという小さな町の海辺の小さなスタジアムだった。その試合で、マジェールはあの三笘のような「天才」を見せたのだ。

 後半のなかば、試合はポルトが1-0でリードしていたが、ヴァルジンもよく守っていた。それを一挙にこじ開けたのがマジェールの「天才」だった。前線のやや左サイドにポジションをとっていた彼は、自陣から送られてきたロングパスに合わせてヴァルジンのゴールに向かって全力疾走し、真上から落ちてくるボールを走りながらインステップでコントロール、バウンドさせずに、そのまま左足で中央に送って2点目のアシストをしたのである。インステップに乗せてボールをコントロールするまでは三笘とほとんど同じプレー。まさに茫然とさせられるプレーだった。

 その翌年6月、ミュンヘンのオリンピックで、オランダの天才選手が煩雑な「弾道計算」を瞬時に処理し、欧州選手権の決勝戦で誰も真似のできないゴールを決めてみせる。(3)に続く。

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