【第18回】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」

 わずか18歳でプロレスデビューを果たしたマイティ井上は、さらなる技術向上のためにヨーロッパ遠征に旅立った。イギリスやフランス、ドイツなど欧州各地を転戦し、日本に帰国したときには「ひと皮もふた皮もむけていた」とアニマル浜口は証言する。2年間近くを過ごしたヨーロッパで、マイティ井上はいかなる経験を積み、どのように変化していったのか。

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国際プロレスのパンフレットでもマイティ井上はド派手なタイツ姿

マットの魔術師・マイティ井上(2)

「『さすが、フランス帰り!』と思ったのは、井上さんが首にネッカチーフを巻くようになったんです。ネクタイじゃないですよ。ほら、キャビン・アテンダントとかカウボーイが巻いているようなやつ。以前にも、海外遠征から帰ってくると洗練されると話しましたが、井上さんも伊達男になったというか、粋(いき)な恰好になって帰ってきて。『オシャレだなぁ』と思ったものです。

 井上さんと言えば、とにかくド派手なタイツや、どこかの王子様みたいなガウンが有名ですけど、背広姿もそれは派手でした。花柄やサイケ柄っていうんですか。僕もピンクや真っ赤なネクタイなどで派手にしていましたけど、井上さんには敵いませんでしたね。

 フランスにも長くいましたから。50年前のフランスでしょ。まだまだ日本からは限られた人しか行けないような国でしたので、そこでファッションセンスも磨いてきたんですね。

 井上さんはすべてにおいて『プロフェッショナル』になられたということでしょう。常に目立つように、名前が売れるようにインパクトを考えて。それもすべてプロとしての演出です。リング上はもちろん、普段からの所作も違っていました。

 フランスと言えば、井上さんはモンスター・ロシモフ――のちのアンドレ・ザ・ジャイアントとも仲がよかったですよ。若かりしころ、同じ志(こころざし)を持ってフランス各地を転戦したのでしょう。日本でもとってもフレンドリーで、ロシモフから『ミッキー』なんて呼ばれていました。ヨーロッパでのリングネームが『ミッキー・イノウエ』だったから。ミッキーマウスみたいにカワイイ顔をしていたからでしょうか。

 また、井上さんは英語が堪能で、外国人レスラーの面倒もよく見ていました。ロシモフは英語が話せず、フランス語オンリー。それでも井上さんは『アイツの言っていることは、なぜか全部わかるんだよ。フランス語なんてあんまりわかんないのにさ』と笑っていましたね」

 アニマル浜口自身も長期のアメリカ遠征を経験しているが、若手レスラーを海外で武者修行させるのは、国際プロレス吉原功(よしはら・いさお)社長の方針だった。

「海外に行かせてもらったら、何かを掴んで、持って帰らないとダメですよ。それができるか、できないか。せっかくの海外遠征でステップアップしてこなかったら、プロとは言えません。どう変わってくるか、そしてどこまで変われるか。どこに行ったって、うまい具合に空気を読んで、『先生』を見つけて、いいものを吸収してくる。

 ヨーロッパとアメリカ――同じプロレスでもそれぞれ独特なものがあり、雰囲気もまったく違います。ヨーロッパはシリアス(真面目)で、どちらかというと地味かもしれませんが、技をしっかり極(き)めてくる。逆にアメリカは、日本でも大人気だったスタン・ハンセンやブルーザー・ブロディ、ハルク・ホーガンのように超人的なレスラーがガンガンやる。一方、メキシコのルチャリブレは飛んだり跳ねたりの空中殺法ですが、それでいて極めるところは関節技・絞め技を出す。

 国際プロレスの話からは少し逸れますが、今、新日本プロレスで活躍している内藤哲也という選手。棚橋弘至選手やオカダ・カズチカ選手と人気を分け合い、2016年のプロレス大賞・最優秀賞を受賞したレスラーですが、浜口道場出身なんです。

 高校までサッカーをやっていたから、動きが軽快でね。軽くてサッサッと縦横無尽に動く感じ。それが新日本プロレスに入った後、メキシコ遠征でさらに研ぎ澄まされた。自分のスタイルに合った、いい修行先を選んだと思います。若き日の僕や井上さんが経験したように、プロフェッショナルになるには、それが大事なんです。内藤選手はこれからどこまでビッグになるか、ますます楽しみですね」

(つづく)
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