サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニ…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、ヴィッセル神戸の「不動の左サイドバック」が新天地に選んだイングランド名門の「知られざる一面」——。

■新スタジアムは「国際試合」の舞台に

 さて、「ウェンズデイ」の話である。19世紀の間に次第に力をつけ、フットボール・リーグの2部まで上がってきたウェンズデイだったが、スタジアムはずっと借り物で、恒久的な「ホーム」を持っていなかった。しかし、1899年、それまで使っていたスタジアムが鉄道駅をつくるために壊されることになり、市の北西部に土地を求め、自前のスタジアムを建設することになる。新スタジアムはわずか半年で完成する。それが今日「ヒルズブラ」と呼ばれる、イングランドの名スタジアムのひとつである。

 当初はこの地域の名をとって「アウラートン・スタジアム」と呼ばれていた。現在もクラブのエンブレムに「アウル(フクロウ)」がつけられ、チームニックネームが「アウルズ」であるのは、このためだ。この名称は、周囲の地区が宅地開発されたことで1914年に「ヒルズブラ」と改められた。

 新スタジアムの誕生とともにウェンズデイはトップリーグに昇格、1903年、1904年とリーグ制覇を達成、黄金時代を迎える。そして、ヒルズブラもどんどん改装されて、イングランドの名スタジアムのひとつとなる。まさに「ビッグ・ウェンズデイ」となったのだ。

 ヒルズブラはイングランド代表の国際試合の舞台ともなり、1920年のスコットランド戦(ホームインターナショナル)、1962年のフランス戦(欧州選手権予選)、1973年の北アイルランド戦(ワールドカップ予選)が行われた。

 何よりの名誉は、1966年のワールドカップ会場のひとつに選ばれたことだっただろう。グループステージの西ドイツ対スイス、スペイン対スイス、アルゼンチン対スイス、そして準々決勝の西ドイツ対ウルグアイの4試合の舞台となったのである。1996年には欧州選手権の会場となり、グループリーグのデンマークの3試合がすべてここで行われた。

■862人の死傷者「ヒルズブラの悲劇」

 イングランドのファンがこのスタジアムを「特別の場所」であると感じるのは、数多くのFAカップの準決勝の舞台となってきた点にある。1戦制、中立地開催が原則の準決勝は、2008年以降はすべてロンドンのウェンブリー・スタジアムで行われているが、その前にはいくつかのクラブのスタジアムが使われてきた。そして準決勝開催回数がバーミンガムの「ビラパーク(アストンビラ所有)」の57試合に次ぐのが、「ヒルズブラ」の34回なのである。

 そして同時に、1989年4月のFAカップ準決勝、リバプール対ノッティンガム・フォレスト戦で起きた「ヒルズブラの悲劇」は、永遠に忘れることのできない出来事となった。

 当時のヒルズブラは5万4000人収容。ノッティンガムのサポーターはスムーズに入場できたが、リバプールのサポーターに割り当てられた観客席の入場ゲートには「ターンスタイル」と呼ばれる一人ずつカウントしながら入場させる設備の数が少なく、キックオフが近づいても入場を待つ人が長蛇の列をつくり、押し合いの状況になっていた。選手入場時の大歓声で入場を待つ人々が興奮状態になったため、警備担当者が退場のための大きなゲートを開放。それを見たサポーターがスタジアム内に走り込んだ。

 さらに開始直後のリバプールのシュートに場内が沸くと、彼らは通路を走ってピッチ前まで侵入した。しかし、最前部のフェンスで道を塞がれる。そこに次々と入ってくる後続のサポーターが押しかけた。最初に走り込んだサポーターたちは押しつぶされ、呼吸もできなくなり、結果として96人もが亡くなり、重軽傷者766人という大惨事になってしまったのである。

 試合は即座に中止され、マンチェスター・ユナイテッドのオールドトラフォード・スタジアムで再試合が行われた。

■背番号28が「強烈シュート」で名門復活

 1985年の欧州チャンピオンズリーグ決勝戦、ベルギーのブリュッセルで行われたリバプール対ユベントス(イタリア)で、リバプールのサポーターがユベントスのファンに襲い掛かり、39人もの犠牲者を出すという事件があった後、イングランドのクラブは欧州のクラブカップ戦から閉め出されており、「フーリガン対策」は当時の英国社会の大きな課題となっていた。

 しかし、「ヒルズブラの悲劇」は、フーリガンによるものではなく、スタジアムの設備や入場システムに起因するものであることがわかり、以後、イングランドのサッカースタジアムでは立ち見席が完全に撤廃されることにつながる。

 1992年4月、全個席で4万人収容に改装されたヒルズブラは、3年ぶりにFAカップ準決勝を迎える。ノーリッジ・シティ対サンダーランド。2部のサンダーランドが1-0で勝って決勝に進んだ。入場券はすべて売り切れ、スタジアムは4万102人の観客で埋まったが、混乱はまったくなかった。この後、1997年のFAカップ準決勝ミドルズブラ対チェスターフィールド戦の再試合が開催されたが、これがヒルズブラでのFAカップ準決勝の最後となった。

「ヒルズブラ」には、そうした栄光と悲劇の歴史が詰まっている。

 シェフィールド・ウェンズデイは2000年にプレミアリーグから降格し、「3部」との間を行き来していたが、2023年に「2部」に復帰し、2023/24シーズンは24チーム中20位と低迷したものの、今季は全46節のうち31節を消化した時点で11位。今季のプレミアリーグ昇格は難しいが、35歳のダニー・レール監督(ドイツ)の下、キャプテンのMFバリー・バナン(スコットランド代表)、得点源のMFジョシュ・ウィンダスを中心に、「名門復活」を期している。

 背番号28を与えられた初瀬亮は、このクラブ初めての日本人選手である。そのダイナミックなプレーと強烈なシュートで、サッカーの歴史ある町の名門クラブ「ビッグなウェンズデイ」をプレミアリーグ昇格に導き、「栄光の時代」を再現させることを期待したい。

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