サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニ…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、ヴィッセル神戸の「不動の左サイドバック」が新天地に選んだイングランド名門の「知られざる一面」——。

■FAとシェフィールドは「サッカーの父母」

 良質の石炭と鉄鉱石が近場で採掘されたことから、シェフィールドは産業革命、なかでも鉄鋼業の中心地となり、大きな人口を抱えるようになる。20世紀のはじめには、現在に近い45万人もの大都市になっていたという。

 その「都市の勢い」が、そのまま「サッカー」の勢いとなる。ロンドンにいくつかのクラブが集まって1863年に「The Football Association(FA)」を結成、ルールを統一して「サッカー」が誕生するのだが、シェフィールドを中心とした「北部」のクラブはこれに参加せず、独自のルールでプレーしていたのである。

「サッカー」という言葉は「FA」の「association」という言葉から派生したスラングなので、この当時のシェフィールドで行われていた競技を「サッカー」と呼ぶのはふさわしくなく、あくまで「football」なのだが、後に両者は統一されることになるので、「統一前」にシェフィールドで行われていた競技も「サッカー」と呼ばせてもらう。

「シェフィールド・ルール」は単なる「ローカルルール」ではなかった。その後のサッカーの発展に大きな影響を与える要素がたくさん入っていた。今日のサッカーは、実質的に「FAルール」と「シェフィールド・ルール」の2つが融合して誕生したものである。両者はいわば「サッカーの父母」と言うべきものなのだ。

■ルール改正で「ハンド完全禁止」に!

 ただ、残念ながら主導的役割を果たしたのは「ウェンズデイ」ではなかった。「ウェンズデイ」のサッカークラブが誕生する10年も前、1857年に創立された「シェフィールド・フットボール・クラブ」が1858年に制定したのが、最初の「シェフィールド・ルール」だった。このフットボールクラブも、クリケット・クラブ(1751年創立と推定されている)の冬のトレーニングのためにつくられたものだった。

 ちなみに、シェフィールドFCは現在も活動しており、アマチュアリーグでプレーしているが、国際サッカー連盟(FIFA)によって「世界最古のサッカークラブ」として認定されている。

 1858年につくられた最初の「シェフィールド・ルール」は、1863年の「FAルール」と大きな違いは見られない。シェフィールドFCのメンバーの多くは「シェフィールド・カレジエイトスクール」というハイスクールの出身者で、ボールを足で蹴って進める「キッキングスタイル」のフットボールを好んでいた。

 しかし、その後の数年間の改正のなかで、より魅力的な競技にするために大胆なルール改正が行われた。「ハンドの完全禁止(FAルールでは『フェアキャッチ』が認められていた)」、「1人制オフサイド(FAルールではボールより前にいる選手が全員オフサイドだった)」、「ルージュ(現在のラグビーの『トライ』に近い得点方法)」など、FAルールとは大きく違う方向性となっていたのだ。

 ロンドンのFA誕生の4年後、1867年には「シェフィールド・フットボール・アソシエーション(SFA)」が設立され、シェフィールドFCに代わってルール改正を担うようになる。この頃にはロンドンのFAは加盟クラブ数が10まで減少し、「休眠状態」に近くなっていた。イングランド全体を見ると「シェフィールド・ルール」でプレーするクラブが支配的になっていたのである。

■「ヘディング」「ゴールキーパー」が誕生

 この1867年、シェフィールドでは世界初のフットボール大会である「ユーディン・カップ」が開催され、さらに翌1868年には設立2年以内のクラブによる「クロムウェル・カップ」が行われて「ウェンズデイ」が優勝を飾る。

 シェフィールド・ルールの下では、ハンドリングが完全に禁止されたことで「ヘディング」が生まれ、また、ゴールを守るときにだけ手を使うことを許された「ゴールキーパー」が誕生した。

 さらに「ゴールキック」と「コーナーキック」が導入され、ゴールにクロスバーが設定された(FAルールでは、どんなに高くても2本のゴールポストの間を通過すれば得点となっていた)。どの方向に投げてもいいスローインの考案も、シェフィールドだった。

 ロンドンの「FA」とシェフィールドの「SFA」は何回もルール統一の会議を開き、交流試合も行われた。1870年には「SFA」傘下の16クラブが「FA」への加盟を認められ、翌年にはSFA自体がFAのメンバーとなり、交流試合が始まった。しかし「シェフィールド・ルール」でプレーすることもまだ許されていた。

 FAは1871年に「FAカップ」を創設。しかし、この大会は厳格にFAルールの下で行われていたため、SFAのクラブは参加を辞退、SFAは1876年に独自の「SFAカップ」を創設し、最初の決勝戦は8000人の観客を集めた。それは当時のFAカップ決勝の倍にのぼる数字だったという。

 しかし、ロンドンの新聞報道によってFAカップはどんどん人気大会となっていく。そしてシェフィールドのクラブも参加するようになる。FAカップの成功でロンドンのFAは完全に息を吹き返し、イングランド内で支配的な地位を築いていく。そして1877年には主にFA側の譲歩によってSFAとのルールの違いはほぼなくなる。ただ、オフサイドに関してはFAはSFAに完全には譲歩せず、1866年に改正した「3人制」を守った。(3)に続く。

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