10年以上に及ぶシリアの内戦が終結を迎えた。かつて、サッカージャーナリストの後藤健生は、ワールドカップ予選観戦のために…
10年以上に及ぶシリアの内戦が終結を迎えた。かつて、サッカージャーナリストの後藤健生は、ワールドカップ予選観戦のために現地を訪れたことがある。その際、親切にしてくれた人々は、どうしているのか? サッカーを通じて生まれた縁と新生シリアの今後に思いを馳せる。
■残っていた「聖書」の世界
ダマスカスは紀元前10世紀という古い時代からの長い長い歴史のある都市で、7世紀に最後の預言者ムハンマドによってイスラム教が創始されてしばらくすると、イスラム世界全体を支配するウマイヤ朝の都となりました。当時のイスラム世界は中世ヨーロッパを凌ぐ力を持っていましたから、世界の中心的地位にあったとも言えます。
市内を歩くと、イエス・キリストが盲目の者の目を治した場所とか、イエスの死後、パウロ(サウロ)が回心(キリスト教への改宗)をした「まっすぐな道」(ローマ時代のメインストリード)などがあります。
世界最大のモスクの一つであるウマイヤド・モスクは、もちろんイスラム教の聖地ですが、イエスに洗礼を授けた聖ヨハネの首が発見された場所であり、また、最後の審判のときにイエスが再臨する場所だとも言われています。
要するに、イスラム教だけでなく、キリスト教徒にとっても重要な聖地なのです。ヨーロッパからの観光客が、熱心に聖書の世界を回っていました。
■親切だった人々の「運命」は?
さて、なんでそんな古い話を思い出したのかと言えば、2024年12月にアサド大統領の独裁政権が崩壊したことで、シリアに関するニュースを頻繁に目にするようになったからです。
ロシアに亡命した前大統領のバシャール・アル・アサドは、ハーフィズ・アル・アサド元大統領の次男でした。僕がシリアに行ったときは、そのアサド(父)大統領のバアス党政権が安定していた時代でした。
2000年6月に父大統領が死去して、息子が跡を継ぎましたが、2011年の「アラブの春」(民主化運動)で反政府勢力が台頭。アサド(息子)大統領は反対派を厳しく弾圧してきましたが、さまざまな勢力が入り乱れた激しい内戦が続きました。
ですから、若い読者の方々は、シリアというと「危険な国」という印象が強いでしょうが、僕が行った頃はもちろん独裁政権下にあったのですが、社会は安定し、会う人は皆とても親しみ深い人たちでした。
ビザをもらうためにシリア大使館でインタビュー(実際には雑談)してくれた係官、取材ビザで入国したため、必要な登録に行った情報省係官のムニアール・アリ、ホテルまで様子を見に来てくれたジェネラル・ブーゾ。シリア代表の中で一番、英語がうまかった(英語教師だった)GKのベルクダール……。
まあ、日本人が珍しかったからでしょうが、皆に親切にしてもらった記憶ばかり残っています。
そのシリアは、10年以上に及ぶ激しい内戦で破壊され尽くしてしまいました。
当時、出会ったあの人たちには、その後、いったいどんな運命が待ち受けていたのでしょうか? シリアやイランのサッカーについていろいろ教えてくれたベルクダールは北部のアレッポ出身だと言っていましたが、歴史の古いアレッポは完全に破壊し尽くされてしまったと伝えられています。
■サッカー強国「復活」なるか
シリアやパレスチナなど、地中海沿岸の国々はヨーロッパの影響も強く、サッカーも古い伝統を持っています。しかし、内戦の混乱の中では代表チームの強化もままならず、また、ホームゲームも開催できない状況が続いていました。
2026年ワールドカップ・アジア予選では、シリアは2次予選で日本と同じグループに入りましたが、日本相手にはホーム、アウェーともに0対5の大敗に終わり、北朝鮮の後塵を拝して3次予選進出はなりませんでした。
内戦は終結しました。もちろん、シリア国内には多くの部族、キリスト教徒を含めた多くの宗派が存在するので、これから安定した政権が樹立できるかどうかも定かではありません。
それでも、サッカーはそんな多様な人々を団結させる一つの契機になるかもしれません。
アラビア湾岸(ペルシャ湾岸)の産油国と比べれば、石油産出国ではないシリアは経済的には貧しいかもしれませんが、オイルマネーという不労収入で潤っている産油国の人々に比べれば、シリア人はずっと勤勉です。
いずれ、国内が安定してくれば、再び西アジア・サッカー界の強国となってくるかもしれません。また、行けるようになるといいのだが……。