「プロ野球」という言葉からイメージされるのは、カクテル光線に照らし出されたフィールドと、数万人のファンを吸い込む巨大なスタンドの風景だろう。実際、メジャーリーグのスタジアムの風景はどこも華やいだ空気に満ち溢れている。なかには、噴水があっ…

「プロ野球」という言葉からイメージされるのは、カクテル光線に照らし出されたフィールドと、数万人のファンを吸い込む巨大なスタンドの風景だろう。実際、メジャーリーグのスタジアムの風景はどこも華やいだ空気に満ち溢れている。なかには、噴水があったり、観覧車やメリーゴーラウンドまであったりと、一大テーマパークの様相を呈しているスタジアムもある。

 そんな華やかなメジャーの舞台を夢見る若者がしのぎを削る場としてマイナーリーグがあり、選手のランクによっていくつもカテゴリーがある。クラスが落ちるほど環境は厳しく、観客も少ない。マイナー最底辺のルーキーリーグになると、メジャーキャンプの練習場で公式戦をこなし、ファンから入場料を取ることもない。



テキサス州アルパインに本拠地を置くカウボーイズの選手たち

 さらにアメリカでは、このマイナー最底辺より下の”プロ野球”が存在する。メジャーの球団とマイナー契約すら結べなかった選手を集めて、「プロ野球を行なおう」というビジネスマンが、自前のリーグを20年ほど前から始めたのだ。いわゆる”独立リーグ”というやつである。

 それでも設立当初は、プロの世界で箸にも棒にもかからなかった選手たちではなく、メジャー球団から見切りをつけられたベテランが多かった。彼らのうちの何人かは、ここでの活躍が認められ、メジャーに舞い戻った。

 その結果、「オレだって」と思った若者が、独立リーグに急増した。実際には、プロ経験なしで独立リーグからメジャーの球団と契約にこぎつける例はごくわずか。ただ、元メジャー選手がプレーするような強豪と言われる独立リーグはスカウトの目に触れることも多く、次第に人気を集めていった。

 そうなると今度は、そうした「強豪の独立リーグ」を目指す者を集めるリーグが、アメリカ各地で雨後の筍(たけのこ)のように、つくられては消えていった。

 なかには集客のため、還暦をとうに過ぎた元メジャーリーガーを期間限定でプレーさせ、”プロ野球最高齢記録”を毎年のように更新させるリーグもある。

 そんなリーグに足を運ぶファンは決して多くない。1試合100人も入れば上々というチームもある。そんな状態だから、シーズン中にリーグ自体が打ち切りになることなど日常茶飯事。なかには、開幕直前に解散してしまうようなリーグもある。

 ところが、そうした乱立状態のなか、もう7年も続いている弱小リーグがある。それが「ペコス・リーグ」だ。テキサス州の片田舎の地名がついたこのリーグは、テキサス、ニューメキシコの小さな町をフランチャイズとするチームで構成されている。選手、指導者ともプロ経験のない人がほとんどで、メジャー傘下のマイナーでプレーした経験があれば、たとえそれがルーキーリーグであっても、ここでは「エリート」だ。

 ただし、マイナーリーグで目立つラテン系の選手はほとんどいない。野球をお金稼ぎの手段と考える傾向が強い彼らにとって、このリーグは”出稼ぎ先”にもならないわけだ。

 週給は50ドル(約5600円)。アメリカのプロリーグでは当たり前となっているミールマネー(食事代)すら出ず、移動は各個人で行なう(ガソリン代はあとで清算されるらしい……)。こうした徹底した緊縮財政が、このリーグを存続させている。

 また、試合興行そのものよりも、シーズン前のトライアウト・リーグへの参加を柱に据えた新ビジネスモデルが、このリーグの経営を支えている。

 ペコス・リーグの開幕は6月と遅い。4月にメジャーリーグが開幕すると、ロースター落ちした選手たちはその年のプレー先を確保すべく、順次独立リーグに身を投じていく。開幕の早いリーグほどプレーレベルも選手のギャラも高い。要するにペスコ・リーグは行き場を失った”野球難民”を集めてリーグ戦を行なっているのだ。

 シーズン前に開催される有料の”トライアウト・リーグ”には、とにかくプロという名のつくところでプレーしたいという若者が殺到し、参加料だけでも相当の金額になる。

 果たして、このペコス・リーグで行なわれている野球とはどんなものなのか。テキサス州北西端のエルパソから車を走らせた。

 アルパインと聞いて、その地がどこにあるのかアメリカ人でもなかなか言い当てることはできないだろう。テキサス州西部、メキシコとの国境にある国立公園の玄関口にあたる小さな町だ。エルパソから車を飛ばしたものの、途中でゲリラ豪雨に遭ったこともあり、球場に到着したときには、ちょうど試合が終わったところだった。ナイトゲームの予定がデーゲームのダブルヘッダーに変わったこともあったが、ロングドライブは徒労に終わった。

 それでも、この田舎町の素晴らしい球場を目にすることができただけでも、よしとせねばならない。いまだ木製の観客席を使っているこの球場は、アメリカの野球ファンの間でも「ぜひ行っておきたいボールパークのひとつ」として知られている。

 1947年に建造され、ニグロリーグの伝説の投手、サチェル・ペイジもマウンドに登ったというこの球場は、すでに町の歴史遺産である。入り口の鉄格子には、ボールをあしらった取っ手やこの町のチームであるアルパイン・カウボーイズのロゴが組み込まれている。

 カウボーイズの歴史は1946年に遡(さかのぼ)る。地元の有力者がセミプロチームを統合してプロ化したのが始まりだ。しかしその後、メジャーリーグのテレビ放送が始まり、マイナーの弱小リーグが淘汰されていくなか、このチームもやがて消滅を余儀なくされた。

 ところが1990年代以降、各地に独立リーグが誕生すると、2009年にカウボーイズが復活し、ここアルパインにもプロ野球が戻ってきた。正直、プレーのレベルはお粗末なものだが、チームはこの何もない町の人々にナショナルパスタイム(庶民の娯楽)を提供している。そのことは、試合直後の観客の表情が物語っていた。

 その翌日、車をニューメキシコ州のアラゴモードという町まで走らせた。草野球の桟敷席のようなスタンドの背後に山脈を望むこの球場に、この日足を運んだ観客は100人にも満たない。

 入場料はたった6ドル。それでも、ボランティアだというスタジアムDJが試合を盛り上げると、ファンはその声に呼応し盛り上がる。

 アメリカではおなじみの7回のストレッチ・タイムになると、メイン球場の周りにクローバー状に広がるフィールドを見下ろす監視塔から、数少ないファンに向かってスポンサー提供のドーナツが投げ入れられる。

 フィールドでは、その間も選手たちが懸命にプレーしている。試合は、先発投手が降板したあと、このレベルにありがちな荒れたものとなった。それでも観客は最後まで選手を応援している。

「私は、この雰囲気が好きなんだ。だって、試合中に選手と気軽に話ができるなんて、メジャーリーグではなかなかできないだろう?」

 この日、スタンドではなくブルペン近くで金網越しにリリーフ投手陣と談笑していたひとりの老人は、そう語った。数人の選手のホームステイを引き受けているこの老人は、ホームチームであるパップフィッシュが逆転負けを喫したにもかかわらず、それを気にする風でもなく、淡々と試合を眺めていた。

 普段はカレッジのコーチをしながら、夏休みにニューメキシコに帰ってくるという監督の話によれば、このリーグからメジャー球団と契約にこぎつけるのは、シーズンにひとりいるかいないか。しかも契約した選手も、結局は無名のマイナーリーガーとして選手生活を終えることがほとんどだという。

 まさに底辺の独立リーグといっていいペコス・リーグだが、今シーズンはカリフォルニアへ拡大策をとり、6チームをロサンゼルス周辺に置いている。

 そのうちのひとつ、ニューメキシコから移転したトレインロバーズが新たに本拠地を置いたのは、あの野茂英雄がマイナーで”アメリカ初登板”を果たしたベーカーフィールドである。老朽化の激しいこの町の球場を嫌い、メジャー傘下のマイナーチームが撤退したあと、リーグ拡張を狙ったペスコ・リーグが手を挙げたのだ。

 野茂がメジャーへの階段の第一歩を記したマウンドに、夢をあきらめきれない若者が立っている。この日、デーゲームで本拠地を持たないハリウッド・スターズがこの球場を借りて、ツーソン・サグアロスと試合を行なっていた。チケット販売もせず、ほぼ無観客のスタンドにいたのは選手の家族だけ。スターズの先発投手、ニック・マイノットの父親の姿もネット裏にあった。このリーグで2シーズン目を迎えるニックだったが、味方のたび重なるエラーもあり、3回13失点でマウンドを降りた。

 バスの出発時刻も迫ってきたので、球場を去ることにした。ベンチを出て談笑していたひとりの選手にバスの時刻を調べてもらうと、すぐにやってくるというので慌てて球場を出た。息を切らせて通りに出た私を追いかけるようにやってきた1台の車から声が聞こえてきた。声の主は、先程までスタンドで息子のピッチングを見守っていたニックの父だった。

「乗っていくかい。息子が降板したので、昼飯を食いに行くんだ」

 彼は、大学院に通いながら夏休みをこのリーグで過ごす息子の夢にもう少し付き合うらしい。この日のピッチングを見る限り、彼がメジャーの舞台に立つことはないだろう。それでも、そういう選手がアメリカの片隅にある小さな町に、ベースボールの火を灯していることに、この国の野球の裾野の広さを感じた。