蹴球放浪家・後藤健生は世界中でサッカーを観戦してきた。試合のみならず、移動も含めて、すべてを楽しんできた。そんな蹴球放…

 蹴球放浪家・後藤健生は世界中でサッカーを観戦してきた。試合のみならず、移動も含めて、すべてを楽しんできた。そんな蹴球放浪家が体験した「サッカー観戦がさらに楽しくなる」入国審査のススメ!

■明け方の「南米のパリ」

 僕にも船旅の思い出がいくつかあります。

 1993年にワールドカップ南米予選を見に行ったときには、ウルグアイの首都モンテビデオでウルグアイ対ブラジル戦を見てから、船に乗ってブエノスアイレスに向かいました。「海を渡って」ではなく、大河ラプラタを渡ったのですが、夜の船に乗って、明け方にデッキに出て眺めていると、高層ビルが立ち並ぶブエノスアイレスの都心が見えてきました。

 17世紀以来、スペイン系やイタリア系など多くの人たちが移民として新大陸にやって来るときにも、この景色を見ていたのでしょう(当時はもちろん摩天楼はありませんでしたが)。

 また、1985年の春に某財団が主催している「青年の船」という企画に講師として同行したときには「新さくら丸」という大型客船に乗ってシンガポールとバンコクを訪れました。バンコクはチャオプラヤ川沿いに造られた都市ですが、河口から大型船でチャオプラヤ川を遡ってバンコク港に到着したのです。船長の話では、やはり大型船で川を遡るのはかなり難しい操船技術が必要だということでした。

■ドーバー海峡を渡って

 もう一つの思い出は、1974年の西ドイツ・ワールドカップの後、オーストリアやスイス、オランダ、ベルギー、フランスを経てイギリスに渡ったときのことです(旅程にオランダを追加したのは、ヨハン・クライフを見たからでした)。

 パリで観光を済ませてから、フランス北部、ベルギー国境にも近いカレーまで列車で移動して、そこから船でイングランドの港町ドーバーに向かいました。

 そう、英仏海峡のうち、最も距離が近いこの部分は「ドーバー海峡」と呼ばれています(フランスでは「カレー海峡」と呼ぶこともあります。最近、アメリカで「メキシコ湾」のことを「アメリカ湾と呼べ」と言い出した大統領がいましたが……)。約40キロの船旅です。1994年に開通した英仏海峡トンネルも、このドーバー海峡の下を通っています。

「ドーバーの白い崖」も有名です。ドーバー近くではグレートブリテン島の南岸が高さ100メートル以上の真っ白い崖になっているのです。「チョーク」と呼ばれる石灰岩の一種で出来ているからです。

 日本語では「白亜」と言います。そして、このチョークを切り出したものが黒板に文字を書く「チョーク」となりました(もちろん、今は炭酸カルシウムや石膏を固めた工業製品ですが)。

■白亜の壁が「赤壁」に

 船は夜にカレーを出発。明け方にドーバーに到着しました。朝日に照らされて白い崖が赤く輝いていました。

 その「“赤い”崖」を眺めていると、入国審査が始まりました。飛行機の旅では到着してから空港で入国審査があります。長蛇の列に並ばなければいけないこともあります。

 しかし、夜行列車で国境を越えるときは夜中に入国審査官がやって来てパスポートを預かっていって、朝になると(あるいは数時間後に)パスポートに入国スタンプを捺したものを返してくれます。ですから、駅に到着したら、そのまま街に出ることができます(もちろん、駅で入国審査をする場合もありますが)。

 そして、船での入国では船内で審査を済ませてくれることがあるのです(もちろん、港で入国審査をする場合もありますが)。イギリスというのは、昔から入国審査が厳しくて時間がかかるので、船内で済ませてもらうことができて本当に助かりました。

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