早稲田大・花田勝彦監督インタビュー(前編)第94回大会(2018年)以来のトップ3にあと一歩まで迫った早稲田大の花田勝彦監督 photo by Jiji Press「3強崩し」。第101回箱根駅伝の早稲田大の目標は、明確だった。出雲駅伝、全…
早稲田大・花田勝彦監督インタビュー(前編)
第94回大会(2018年)以来のトップ3にあと一歩まで迫った早稲田大の花田勝彦監督
photo by Jiji Press
「3強崩し」。第101回箱根駅伝の早稲田大の目標は、明確だった。出雲駅伝、全日本大学駅伝はともに1位國學院大、2位駒澤大、3位青山学院大。箱根もこの「3強」を軸にレースが展開すると予想されたなか、出雲6位、全日本5位の早稲田大は「3強崩し」を掲げ、往路3位、総合4位とすばらしい走りを見せた。花田勝彦監督はどのようなプランを持って臨み、どう2日間を戦ったのか。
【1区で最高のスタートが切れた】
――1区は間瀬田純平選手(3年)の3年連続起用となりました。
「間瀬田は、全日本(1区19位)が良くなかったですし、前回大会(区間12位)のようにハイペースになった場合、ちょっと遅れて厳しい展開になるかもしれないと思い、(山口)竣平(1年)の起用も考えました。ただ、箱根に向けて非常にいい練習ができて、かなり調子が上がってきたので1区に起用しました」
――1区はどんな展開を想定していたのですか。
「優勝候補の青山学院大が見える位置で、7、8番くらいで粘って2区に来てくれればと思っていました。序盤から吉居駿恭君(中央大・3年)が飛び出し、3強のどこかも続くと前回同様にハイペースとなるのでちょっと心配したのですが、(3強が)動かなかったのでウチとしては良かったですね。間瀬田はかなり集中して走っていたようで、『気がついたらラスト1㎞でした』と言っていました。最終的に後ろに青山学院大(10位)と國學院大(6位)がいて、駒澤大(2位)の近くにいました。区間4位ということで、ウチとしては最高のスタートが切れましたし、この出足の良さが今回の箱根においては非常に大きかったです」
――トップの中央大と1分36秒差、2位の駒澤大と4秒差で迎えた2区は、エースの山口智規選手(3年)が前を追う展開になりました。彼も昨年に続いての2区起用です。
「2区には強い選手がたくさんいますが、黒田朝日君(青山学院大・3年)、平林清澄君(國学院大・4年)、吉田響君(創価大・4年)が後ろにいたので、彼らに追いつかれた後、一緒に行くことを想定していました。ただ、前に篠原倖太朗君(駒澤大・4年)が見えていたので、智規が(想定よりも)速いペースで入りました。本人には『最後の坂があるので、そこに脚と気持ちをとっておかないといけないよ』と伝えていたのですが、あとで聞いたら『上りが得意じゃないので、(篠原君に)上りで引き離される前に貯金を作っておきたかった』と言っていました。
前半を10秒ぐらい遅く入っていれば、前回のタイム(1時間06分31秒、区間4位)と同じぐらいでは行けたんじゃないかと思いますが、速く入ったことで後半に落ちてしまった。結果として、前回よりも30秒遅くなってしまったので(1時間07分01秒)、そこはちょっともったいなかったですね」
――山口智規選手は区間12位、順位も11位に下がりました。
「(速いペースで入ったことを)暴走だという人もいますが、私自身は彼が13㎞くらいまでハイペースで耐えて、思い切ったことができるようになったのは大きな収穫だと考えています。他大学のエースとは経験や地力の差が少し出たかなと思いますが、課題が見つかったので、『これからはハイペースで最後まで押し切れるような練習をしよう』という話をしました」
【3区のルーキーがあそこまで走るとは】
――3区は山口竣平選手。ルーキーながら区間3位、順位も5位に押し上げる、すばらしい走りでした。
「(タスキを受け取った時点で)前に多くのチームが見えました。竣平ならかなり追い上げていけるなという自信はありました」
――監督がそう思うだけの裏付けとなるものが彼にはあったということですか。
「11月から12月にかけての練習のなかで、智規と竣平は優勝するようなチームがやるべき、非常にレベルの高い練習ができていたんです。竣平はハーフの記録がまだないので、それを踏まえての練習だったんですけど、その成果を出せば相当いい走りができると思っていました。ただ、まさかあそこまで走るとは思っていなかったです(笑)」
――どんどん順位を上げて、茅ヶ崎の海岸沿いでは4位の谷中晴選手(駒澤大・1年)と競う展開になりました。彼の強さは、どういうところだと思いますか。
「竣平にはランナーとしてのセンスの良さを感じます。レース展開を読むのがうまいので、特にアドバイスをしなくても自分の判断でどんどん行けてしまう。ウチにいなかったタイプの選手です。また、1年生ながら質と量の両面でしっかり練習ができて、その練習の成果プラスアルファも試合に出せる。それは高校の時から見てわかっていたのですが、今回の走りを見て、あらためてそう思いました」
――3区で順位を5位まで戻し、3強を崩すにはここからが本当の勝負という展開になりました。
「4区の長屋(匡起)(2年)とは、事前に設定タイムを1時間02分くらいという話をしていました。展開的には後ろから國學院大などが来たので、うまく利用して少し速いペースで行ってもよかったんですけど、本人は後半勝負ということで少し抑え気味に入った。その後、せめぎ合いでかなり神経を使ったみたいで『15㎞からあまり覚えていない』と言っていました。それでも想定内のタイム(1時間02分00秒、区間8位)だったので、順位は6位になりましたが、ここまではいい流れで駅伝ができました」
――長屋選手は春先にトレーニングがほとんどできていなかったと聞きました。
「オーバートレーニング症候群になり、練習はもちろん学校にも行けない時期がありました。体重も10㎏くらい増えて、もう今シーズンは無理かなと思う時もあったのですが、7月から1カ月半ぐらいで元の体重に戻してきたんです。夏合宿も最初は少し抑えめでやっていたんですけど、後半は普通に練習をしていましたし、本当に強い選手です。レースも出雲5区3位、全日本7区5位と安定感が出てきました。区間8位でしたが、5区の工藤(慎作)に國學院大や駒澤大が見えるところでタスキを渡してくれたので、いい走りをしてくれたと思います」
【「山の名探偵」はマラソンも準備中】
――5区は監督が名付けたという「山の名探偵」こと工藤慎作選手(2年)。
「レースの5日前に少し疲労が出て、身体が重いと言ってきたので、前回もサポートしてくれた相良(豊)前監督に連絡をして当日のサポートをお願いしたんです。動きを見てもらったりするなか、スタート時には『落ち着いているので大丈夫です』という連絡をもらったので、心配はしていなかったです。実際、走り始めると冷静に最短距離のコース取りをしていましたし、声掛けてしても反応が良かったので、これなら行けるなと思っていました」
――いつ頃から山に特化した練習をしていたのですか。
「前回の箱根(5区6位、1時間12分12秒)後、『次の箱根は1時間10分を切りたいよね』という話をしましたが、本格的に5区の練習に取り組んだのは夏合宿からです。アップダウンのあるコースを走り、紋別合宿では20㎞を走った後、さらに追加で10㎞上るという練習をしました。これは距離に対応することも意識したものです。彼はロサンゼルス五輪でマラソン日本代表になりたいと思っていて、そのために(昨年7月には)ゴールドコーストマラソンで25㎞までのペースメーカーを務めたりもして、マラソンに向けての準備を進めているんですよ。それが山にもうまくリンクできているのかなと思いますね」
――かなりの自信を持って5区に送り出した感じですね。
「そうですね。31秒差で前を行く國學院大には追いつけると思っていました。ただ、駒澤大(37秒差)は山川拓馬君(3年)だったので、かなり強い選手ですし、追いつくのはちょっと難しいかなと思っていました。でも、途中から背中が見えてきたので、工藤にとっては非常に走りやすかったと思います。若林宏樹君(青山学院大・4年)に次ぐ区間2位、チームを3位に押し上げてくれた走りは、本当にすばらしかった。工藤はゴールした後もピンピンしていて、5区を走った選手の中で一番元気でしたね(笑)」
――往路を終えて3位、トップの青山学院大とは2分29秒差でした。あらためて往路の展開を振り返ってください。
「想定した順位の中では一番いい位置(3位)で往路を終えることができました。『3強を崩す』と言っていましたが、それは相手に誤算があり、なおかつウチがきっちりと走ることで初めて可能になることだと思っていたので、まさか実力で崩せるとは思っていなかったですね。ただ、3位になったとはいえ、これからさらに攻めていこうという感じではなく、復路もチームとしてそれぞれがきっちりと走っていこうという確認をしました。だから、チームも復路の選手も浮かれている感じはまったくなかったですね」
――復路のプランは、どのように考えていたのですか。
「最初は、とにかく4位との差をしっかり維持していければいいかなと。そのくらいしか考えていなかったですね。ただ、今思えば想定内の一番いい位置で来たので、優勝というところも考え、それを選手に意識づけしていければ、もう少し攻めの走りができたのかもしれません」
>>後編(「3強崩し」ならずも、早稲田大・花田勝彦監督がつかんだ確かな手応え「瀬古さんにも『山がいるうちに勝たないとな』と言われました(笑)」)に続く
■Profile
花田勝彦/はなだかつひこ
1971年生まれ、滋賀県出身。彦根東高校を経て早稲田大学へ入学。3年時には箱根駅伝で総合優勝、4区区間賞(区間新)。1994年にエスビー食品陸上部へ進み、1996年アトランタ五輪で10000m、1997年アテネ世界陸上でマラソン、2000年シドニー五輪で5000m・10000m日本代表。2004年に引退後は上武大学駅伝部の監督に就任、同大学を2008年箱根駅伝初出場に導き、以来8年連続で本選出場。2016年GMOインターネットグループ陸上部監督に就任。2022年6月より早稲田大学競走部駅伝監督に就任。