五十嵐亮太氏の思い出に残る中継ぎ投手 YouTubeチャンネルで石井弘寿氏を選出 野球評論家の五十嵐亮太氏が、自身のYouTubeチャンネルで思い出に残る中継ぎ投手を挙げた。ヤクルト、ソフトバンクで救援投手として活躍し、メジャーでもメッツな…

五十嵐亮太氏の思い出に残る中継ぎ投手 YouTubeチャンネルで石井弘寿氏を選出

 野球評論家の五十嵐亮太氏が、自身のYouTubeチャンネルで思い出に残る中継ぎ投手を挙げた。ヤクルト、ソフトバンクで救援投手として活躍し、メジャーでもメッツなどで83試合に登板した同氏が注目したのは、ヤクルト時代に同僚だった石井弘寿氏。現在、ヤクルトで投手コーチを務める石井氏を「怪我さえなければ本当にメジャーにも行けた選手」と絶賛した。

 先発や抑えに比べてスポットライトが当たりにくいのが中継ぎ投手。特にホールドポイント(HP)がセ・パ両リーグで採用される2005年以前は、その傾向が強かったという。そんな中で活躍したのが五十嵐氏や石井氏だ。

 1999年から1軍定着した五十嵐氏は当時、石井氏と2人で7、8回を任されることが多かった。自身が先に登板した際には「俺ランナー出してピンチになっても後ろに石井さんがいるからいいやみたいな。それくらい頼もしかった」と安心してマウンドに向かっていたことを懐かしそうに振り返った。

 その上で石井氏を「当時、クローザー、セットアッパーでトップ。凄いえげつないスライダーと真っすぐを投げていた」と高く評価。2006年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)中に左肩痛を発症し、以降は活躍できなかったことを残念がった。

 右腕の五十嵐氏と左腕の石井氏はともに155キロを超える直球を持ち、ロケットボーイズの愛称でも親しまれた。その愛称について「思った以上に根付いて、意外とヒットした。(阪神の)JFKもインパクトあるけど、中継ぎの愛称でいったらロケットボーイズが先。そっからニックネームが出てくるようになったんじゃないかな」と話していた。(Full-Count編集部)