08年の有馬記念で最低人気ながら2着となったのがアドマイヤモナークだ。そんな名バイプレーヤーが重賞初制覇を果たした08年の日経新春杯を振り返る。 アドマイヤモナークは父ドリームウェル、母スプリットザナイト、母の父トニービンの血統。父は9…

 08年の有馬記念で最低人気ながら2着となったのがアドマイヤモナークだ。そんな名バイプレーヤーが重賞初制覇を果たした08年の日経新春杯を振り返る。

 アドマイヤモナークは父ドリームウェル、母スプリットザナイト、母の父トニービンの血統。父は98年に仏ダービーと愛ダービーを制し、欧州年度代表馬に選ばれている。一方、母は未勝利だが、伯父のハギノリアルキングは95年の目黒記念と96年の日経新春杯の覇者。95年の天皇賞(春)で3着になるなど、中長距離重賞で息長く活躍した。

 血統のイメージ通り、アドマイヤモナークは距離を延ばしながら、着実に出世の階段を駆け上がってきた。5歳春に待望のオープン入り。その後、重賞の壁に苦しむ時期もあったが、6歳暮れのステイヤーズSで3着に健闘。続く万葉Sも3着にまとめると、中1週で日経新春杯に参戦した。

 アドマイヤジュピタ、ダークメッセージに続く3番人気に推された一戦。安藤勝己騎手に導かれ、道中は後方で脚をためる。そして坂の下りでジワッと進出。直線に向くとジワジワと脚を伸ばし、残り200mで先頭に立った。最後は手綱を抑える余裕を見せながら、2着のダークメッセージに1馬身1/4差をつける完勝。実に7歳での重賞初制覇だった。

 続くダイヤモンドSも制し、アドマイヤモナークは一気に中長距離戦線の主役候補に名乗りを上げた。その後は勝利に手が届かなかったものの、現役引退後は阪神競馬場の誘導馬として活躍。JRAでは唯一となるドリームウェル産駒の重賞勝ち馬として、そして有馬記念の3連単史上最高配当の立役者として、その雄姿は多くの形でファンの記憶に残っている。