岩隈久志インタビュー 前編 来季に向けて各チームが準備を進めるプロ野球で、オフの動向に大きな注目が集まった選手のひとりが、楽天から自由契約となり、巨人と契約を結んだ田中将大だ。 2020年オフにヤンキースからFAとなって日本球界復帰を決断し…

岩隈久志インタビュー 前編

 来季に向けて各チームが準備を進めるプロ野球で、オフの動向に大きな注目が集まった選手のひとりが、楽天から自由契約となり、巨人と契約を結んだ田中将大だ。

 2020年オフにヤンキースからFAとなって日本球界復帰を決断したものの、以降の4年間でふた桁勝利を挙げたシーズンはなし。2024年も1試合の登板に終わった。日米通算200勝達成まで残り3勝、新天地に移籍した田中の現状について、楽天で5年間ともにプレーした元メジャーリーガー・岩隈久志氏に語ってもらった。


巨人への入団会見を行なった田中

 photo by Sankei Visual

【田中が新天地探しで重視しただろうこと】

――田中投手が2024年限りで楽天を退団することになりましたが、その一報を聞いた時はどう思いましたか?

「(2021年に)日米通算200勝が目前に迫るタイミングで古巣に戻ってきた時には、きっと楽天で大記録を達成するんだろうな、この上ない最高の形でキャリアを締めくくることができるだろうなと思っていましたが、実現に至りませんでしたね。

 オフの契約交渉での減額提示を拒否したという報道が出ていましたが、僕もメディアの情報を見ているだけなので、楽天での田中投手が置かれていた状況について詳しくはわかりません。ただ、おそらく何らかの形で『チームから必要とされていない』と察し、『新しいチームを探してでも200勝を達成したい』という気持ちになったんじゃないでしょうか」

――岩隈さんは現役時代、2011年に楽天からFAでシアトル・マリナーズに移籍し、日本球界に復帰する2018年に巨人を選択しています。その経緯を教えていただけますか?

「僕が日本復帰を決めた時、最初は『きっと楽天に戻るんだろうな』と心のどこかで思っていました。でも、当時の巨人の原辰徳監督が『一緒にプレーしたい』と熱心に声をかけてくださって。原監督とは2008年のWBCも共に戦いましたし、『熱い思いに応えたい』と巨人入団を決めました」

――その際に提示された条件についてはどう思いましたか?

「今だから言えることですが、他球団に比べて格段によかったわけではありませんでした。若いうちは、より好条件を出してくれる球団に惹かれる気持ちも多少はあったでしょう。でも僕の場合は、MLB挑戦を決めた時に『アメリカで現役生活を終えてもいい』と覚悟していましたし、日本に戻る時には『まだまだ自分がやれるところを見せたい』という気持ちが強くなっていたので、条件面はさほど気になりませんでした。

 ベテランに差し掛かった選手が移籍するチームを選ぶ際は、キャリアを重ねるなかで出てきた自分の新たな目標や、やり残したことをどのように達成して最後の花道を飾るか。自分の力が必要とされているか、といった思いがチーム選びの決め手になるケースが多いと感じます」

――田中投手のチーム選びは、どのような点を重視しているように感じましたか?

「あくまで僕の推測に過ぎませんが、田中投手は何年間もヤンキースでプレーした選手ですし、『金額面に対する執着はあまり強くないのでは?』と思っていました。それでも野球を続けようとしたのは、200勝達成に向けた思いからでしょう。やはり、目標に近づけるかどうかを重視していたような印象です」

【復活のカギとなるのは?】

――田中投手は2023年11月に右肘関節の鏡視下クリーニング術を受け、2024年は一軍でわずか1試合の登板に終わりました。岩隈さんも36歳の時に右肩の手術を経験されていますが、ベテランと呼ばれる時期に手術を決断した心境や、復帰までの思いを聞かせてください。

「今振り返ってみると、30代中盤で手術を選ぶことの心理的なハードルがあったと思いますし、手術後も若い頃よりも身体の回復が遅くなっていることを痛感させられました。そのため、地道なリハビリを我慢強く続けなければなりませんでしたが、さまざまな経験を重ねてきたので、若い頃よりも焦らずに、落ち着いて取り組めたかなと思います」

――岩隈さんから見て、田中投手の"復活"には何が必要だと思いますか?

「ここ数年は思うような結果が出せずに、不本意なシーズンを過ごしていたかもしれません。その要因のひとつは、ボールのキレが落ちたことにあると思っています。

 2024年に関しては、一軍の登板はわずか1試合に終わりましたが、二軍では5試合に投げていますし、最後の登板(9月13日)は、7回98球を投げて3失点(自責点2)の内容でした。その際には、手術の影響で思うように腕が振れないなかでも球速は十分に出ていましたし、身体の使い方や巧みなコントロールに関しても、本来のピッチングに近づいているように感じました。

 来季の開幕を迎える頃には、手術のことを気にせずに投げられる状態まで回復しているでしょう。あとはボールのキレをもう少し改善できたら、十分に戦力になり得ると思います」

――岩隈さんは田中投手と楽天で5年間に一緒にプレーしていました。ルーキー時代からこれまでの歩みをどのように見ていましたか?

「田中投手が入団した2007年は、僕が怪我をしていたこともあって会話をする機会はさほど多くありませんでした。ただ、まだまだ荒削りな1年目からふた桁勝利(28試合登板、11勝7敗、防御率3.82)を挙げる姿や、投球時の気持ちの強さに驚かされたことを覚えています。

 若い頃はいつも全力で投げていましたが、経験を重ねるなかで"勝つための投球術"を身につけている印象がありました。特に、力を入れる場面と抜く場面の切り替えがとても上手で、ピンチになると全力投球に切り替えて、ほとんどの打者が打てないようなボールを投げ込んでいたのが記憶に残っています」

――あらためて、来季の田中投手への期待を聞かせてください。

「巨人を新天地に選びましたが、再び一軍のマウンドで活躍して日米通算200勝を達成してくれると信じています。目標に向かうその姿を、全力で応援します」

(後編:佐々木朗希のメジャー挑戦を語る 重視される「イニング数の多さ」をクリアできるのか>>)

【プロフィール】

岩隈久志(いわくま・ひさし)

1981年4月12日生まれ。1999年にドラフト5位で近鉄に入団。2年目に初勝利、2003年に15勝を挙げるなどエースとして台頭。2005年には楽天に移籍して初代開幕投手を務めた。日本球界で通算107勝、沢村賞1度、最多勝2度など多くのタイトルを獲得。2012年にメジャーリーグのマリナーズに移籍し、7年間で63勝をマーク。2015年にはノーヒットノーランを達成した。2018年オフに巨人に移籍して日本球界に復帰し、2020年シーズンをもって現役を引退。2021年にマリナーズの特任コーチに就任。同時に、中学硬式野球チーム「青山東京ボーイズ」のオーナーを務めながら指導を行なっている。