鍵谷陽平インタビュー 全6回(5回目)インタビュー#4>>鍵谷陽平が振り返る名門・北海高時代の前代未聞の出来事 中央大から2012年にドラフト3位で日本ハムに入団した鍵谷陽平氏。1年目から38試合に登板するなど、期待どおりの活躍を見せた。1…

鍵谷陽平インタビュー 全6回(5回目)

インタビュー#4>>鍵谷陽平が振り返る名門・北海高時代の前代未聞の出来事

 中央大から2012年にドラフト3位で日本ハムに入団した鍵谷陽平氏。1年目から38試合に登板するなど、期待どおりの活躍を見せた。19年シーズン途中にトレードで巨人に移籍するが、16年にはリーグ優勝、日本一に貢献するなど、日本ハムで確かな足跡を残した。鍵谷氏にとって日本ハムはどんなチームだったのか?


鎌ヶ谷での練習中に笑顔を見せる鍵谷陽平氏

 photo by Hosono Shinji

【理想のボールに近づけた日本ハム時代】

── 晴れてファイターズに入団して、初めてプロのピッチャーを見た時のことは覚えていますか。

鍵谷 キャンプは二軍スタートだったということもあって、「うわっ、プロってすげぇ」というようなことはなく、スッと入れた記憶はあります。ファンやメディアは(大谷)翔平のほうに集まるので、こっちはほんわかマイペースでやれていました。そこまでプレッシャーを感じず、焦らずできたのがよかったかもしれないですね。

── キャンプは途中から一軍に合流しました。二軍との違いは感じましたか。

鍵谷 キャンプの最後のほうで一軍に上がって、オープン戦もずっと帯同しましたが、宮西(尚生)さん、増井(浩俊)さん、(武田)久さんという7、8、9回を投げていた人たちはすごかったです。宮西さんの球の角度はえげつなかったし、増井さんはどこへ行っても元気に投げるし、久さんは低いところからピューッと糸を引くような真っすぐで、今まで見たこともない球でした。「やっぱり勝ち試合の後ろで投げるピッチャーってそうなんだ。すごいなぁ」という感じで見ていました。

── そもそも鍵谷さんが理想としているボールって、どんな球ですか。

鍵谷 擬音で言うと「ギューン」という感じでミットを突き破って、それこそバックネットまでボールが落ちない。伸びていくような真っすぐが理想ですね。久さんの真っすぐに近いイメージかもしれないです。

── 理想のボールは投げられましたか。

鍵谷 何球か近づけた感覚はありました。毎年1回ぐらいあったと思います。ここで腕をバーンと振れたら、理想に近づけるんじゃないかみたいな。

── 覚えている試合はありますか?

鍵谷 その感覚に一番近かったのは、2014年のクライマックス・シリーズ(CS)ですね。あの時はシーズン3位でCSに進んで、ファーストステージでオリックス、ファイナルでソフトバンクと戦ったんですけど、ほとんどが150キロ超えで理想のボールに近かった。ほんと絶好調でした。

── 球速もですが、ボールの質という部分でもですか。

鍵谷 質も、ですね。その翌年もよかったんです。2015年の開幕から数試合は、その感覚に近かったんです。その時はまだ近藤(健介/現・ソフトバンク)がキャッチャーをやっていました。印象に残っているのは、開幕のイーグルス戦です。(大谷)翔平が6回途中まで0点に抑えて、そこから継投に入ったのですが、(マイケル・)クロッタが8回に(ゼラス・)ウィーラーにホームランを打たれて1点差になったんです。

 さらに2本のヒットを打たれたところで、急遽、僕がマウンドに上がることになったんです。6番が松井稼頭央さん、7番が後藤光尊さんという並びだったのですが、セカンドゴロと三振に抑えてピンチを切り抜けました。あの時は僕とコンちゃん(近藤健介)の意思がガッチリ噛み合って、全球パーフェクトに投げることができました。コンちゃんは覚えているかわからないですけど(笑)......今でもはっきり覚えています。

【予感的中で巨人にトレード】

── ファイターズという球団はどうでしたか?

鍵谷 良くも悪くもブレないという感じですね。でも「ファイターズはこうだよね」という根っ子の部分は変わらないだけだから、「じゃあ、それに合わせてオレらがやるしかない」という考え方もできるので、やりやすかったです。

── 2019年のシーズン途中の6月28日に、トレードでジャイアンツに移籍しました。シーズン中でしたが、「トレードされるかも」みたいな雰囲気はあったのですか?

鍵谷 その年、10試合連続無失点とかもやっているんですが、打たれた試合はめちゃくちゃ点を取られて......だから防御率は悪かったはずです。トレードの時は、ヤクルト戦で戸田にいたんです。そしたらいきなり「鎌ヶ谷に戻って」って言われて。その日投げていないのに「このタイミングで?」ってロッカーで話していたんです。鎌ヶ谷行きを言われたのが僕と藤岡(貴裕)さんだったんです。「これ、トレードあるよ」と笑いながら言っていたら、ほんとにトレードでした。


鎌ヶ谷での最終登板を終えた鍵谷陽平氏

 photo by Hosono Shinji

── どんな感じで告げられたのですが?

鍵谷 次の日の朝、早出でグラウンドを走って、終わってからロッカーに戻ったら、球団の方が「そのままでいいから上に来て」と言われ、「ジャイアンツにトレードです。よろしいですか?」とひと言。嫌と言ったらクビなので、その場で「はい」って答えました。

── ジャイアンツと言われて、どう思いましたか。

鍵谷 正直「ジャイアンツか......大丈夫かな」と思いました。ファイターズはジャイアンツと逆じゃないですか。のびのびというか、革新的というか。そういうチームからいきなり伝統あるチームに行って、すんなり入れるのかなという不安はありました。野球界にいるとわかるんですよ。ジャイアンツがどれだけ伝統があって、威厳あるチームというのが。

── 子どもの頃は巨人ファンだったんですよね。

鍵谷 はい、応援していたチームだったので、そういう意味ではよかったなと思いました。それに中央大出身の人も多かったですし。

── 阿部慎之助さんを筆頭に。

鍵谷 当時は阿部さん、亀井善行さん、澤村拓一さん、鍬原拓也がいて、スタッフには堀田一郎さんもいました。

── 堀田さんは北海高校の先輩でもあります。

鍵谷 不安はありましたが、ものすごく心強かったです。

つづく>>

鍵谷陽平(かぎや・ようへい)/1990年9月23日、北海道亀田郡七飯町出身。北海高から中央大に進み、2012年ドラフト3位で日本ハムに入団。1年目から38試合に登板するなど、おもにリリーフとして活躍。17年にはシーズン60試合に登板した。19年シーズン途中から巨人に移籍。23年オフに戦力外通告を受けるも、古巣である日本ハムと育成契約を交わす。24年7月に支配下になるも一軍登板の機会がなく、9月に現役引退を発表。25年から日本ハムのチームスタッフとして活動する。妻は女優の青谷優衣