鍵谷陽平インタビュー 全6回(1回目) 2024年シーズンを最後に、プロ野球人生に区切りをつけ、新たな道へと歩み始めた鍵谷陽平氏。日本ハム、巨人でおもにリリーバーとして活躍し、通算420試合に登板。そんな鍵谷氏に引退を決断した理由、現役時代…

鍵谷陽平インタビュー 全6回(1回目)

 2024年シーズンを最後に、プロ野球人生に区切りをつけ、新たな道へと歩み始めた鍵谷陽平氏。日本ハム、巨人でおもにリリーバーとして活躍し、通算420試合に登板。そんな鍵谷氏に引退を決断した理由、現役時代の思い出、そしてこれからの展望についてじっくり語ってもらった。


2024年限りで現役を引退した鍵谷陽平氏

 photo by Ichikawa Mitsuharu(Hikaru Studio)

【引退セレモニーを拒否⁉︎】

── 2024年9月25日、エスコンフィールドHOKKAIDO(以下エスコン)で引退試合をされました。戦力外通告から引退セレモニーに至るまでの経緯を教えてください。

鍵谷 9月の頭にエスコンでアマチュアとの交流戦があった時に、球団の方と話をする機会があって、その時に「来年(2025年)はプレーヤーとしては考えてない」と言われて、「それなら引退します」と、すぐに伝えました。

── その場で?

鍵谷 はい。ジャイアンツをクビになってファイターズに獲ってもらった時に、チームの戦力にならないんだったら、野球はやめようと決めていました。結局、一軍に一回も上がれなかったので、そうなる(戦力外になる)だろうなとは思っていました。1年間ケガもなく元気で投げられたんですけど、ほかのチームを探そうという気持ちにはならなかったです。球団の方からは「引退セレモニーをやりたい」と、その時に言っていただいたんですけれども、一度お断りして。

── え、断ったのですか?

鍵谷 断りました。「一軍で」と言われたんですけども、一度も上がっていないですし、4年半ジャイアンツにいて、ファイターズに戻ってきてまだ1年しかやってなくて、それでセレモニーというのも......自分のなかで違和感がありました。

── 鍵谷さんらしいですね(笑)。

鍵谷 「もしやっていただけるのであれば、わがままですが鎌ヶ谷がいいです」と言いました。あともうひとつの理由が、その頃、チームはクライマックス・シリーズ(CS)争いをしていました。9月は本当に大事な試合が続いていたので、余計な気を遣わせたくないという思いがありました。そういうのもあってお断りしたんですけれど......。

 ある人に相談したら、「それはダメだよ。やりたくない気持ちもわかるし、オレもおまえの立場だったらそう言っていたかもしれない。だけど、セレモニーをやると言ってくれた球団の人と、それを進めている人が必ずいるから、明日ちゃんと球団に謝るべきだよ」と言われて。「それもそうだな」と思い直して、翌日に頭を下げました。でも、それこそCS争いがかかっていたので、「投げられないかもしれないけど、セレモニーはやりたい」と言っていただきました。


2024年はファームで20試合に登板し、防御率0.78の好成績を残した鍵谷陽平氏

 photo by Hosono Shinji

── 自分のボールが投げられないから、投げたくないというのもありましたか?

鍵谷 いえ。チームに迷惑をかけたくないというのが大きかったです。最後までちゃんと投げていたので、パフォーマンスが出せないというのはなかったです。

【新しい自分を目指したが...】

── 少し話は戻りますが、2024年2月のキャンプの時に国頭(くにがみ)で話を聞いた時に「久しぶりに五体満足でやれています」と言っていました。不安があった足も大丈夫だし、肩・ヒジも問題ないと。それでもなかなか支配下登録になるという声も聞かなくて、こちらもモヤモヤしていました。

鍵谷 入ってみて、あらためてファイターズの変わらないところというか、一定の物差しがあるのを感じました。真っすぐが速くて空振りの取れる変化球がある。いわゆる三振を取れるピッチャーが一軍に必要とされているんです。僕はまったく違うタイプで、どちらかというと真っすぐも速くないし、空振りが取れる変化球もないけど、ランナーを出しながらもゼロで抑えて帰ってくるというスタイルになっていたので、球団がほしいピッチャー像とは違うよなと。しかも育成からのスタートだったので、登板機会も少なかったですし、調整も難しかったですね。

── ウエイトをかなりやって、真っすぐにもう一回磨きをかける、ブラッシュアップするという強い意志を感じました。新しい鍵谷陽平が生まれるんじゃないかとワクワクしていたのですが......。

鍵谷 まずファイターズのほしいピッチャーというのが、僕が目指しているところと合致していたので、新しい自分をつくろうと思ってやっていました。フォークと真っすぐをしっかり投げるという目標を立ててキャンプに入り、フォークの研究というか、どうすればより落ちるのか、いいフォークが投げられるのかということを、コーチたちと相談して練習しました。

 と同時に、150キロ以上の真っすぐをコンスタントに投げられるというところにフォーカスして、練習に取り組みました。そのためには出力を上げないといけないですから、ウエイトをガンガンやりました。でも、やっぱりケガをしてからは、なかなか戻ってこないという感覚はありましたね。

── 体はひと回り大きくなりましたよね。

鍵谷 そうですね。本当に異常なセット数を組んで、ガッと体を変えたんです。でも、やっぱり試合になると、支配下に上がるためには0点に抑えなきゃいけないので、そことの兼ね合いで、せめぎ合いながらちょっとずつ上がってはいたんですけど......難しかったですね。

── 2週間に1回くらいの登板だとなかなか......。

鍵谷 僕らは空いたところにスポットで投げていかなきゃいけないので、しょうがないことだったんですけど、なかなか試合でスピードを出すということができなかったですね。

── 2024年シーズンはファームで20試合23イニング、防御率0.78でした。球団から戦力外通告を受けて奥さん(女優で料理研究家としても活躍中の青谷優衣)には、すぐに伝えましたか?

鍵谷 いえ、すぐには伝えませんでした。北海道で(戦力外を)言われたというのもあって、電話だときついだろうなと思ったので、東京に戻ってから直接伝えました。でも、去年ジャイアンツをクビになり、ファイターズに育成で戻った時点で「今年で辞める可能性はかなり高いから、それは覚悟して過ごそうね」と、ちゃんと話し合っていたので、ショックを受けるとかはなくて「わかりました」という感じでした。

つづく>>

鍵谷陽平(かぎや・ようへい)/1990年9月23日、北海道亀田郡七飯町出身。北海高から中央大に進み、2012年ドラフト3位で日本ハムに入団。1年目から38試合に登板するなど、おもにリリーフとして活躍。17年にはシーズン60試合に登板した。19年シーズン途中から巨人に移籍。23年オフに戦力外通告を受けるも、古巣である日本ハムと育成契約を交わす。24年7月に支配下になるも一軍登板の機会がなく、9月に現役引退を発表。25年から日本ハムのチームスタッフとして活動する。妻は女優の青谷優衣