鍵谷陽平インタビュー 全6回(2回目)インタビュー#1>>鍵谷陽平がセレモニーを一度は拒否したワケとは 2024年9月25日、エスコンフィールドHOKKAIDO(以下エスコン)で引退試合を行なった鍵谷陽平氏。新庄剛志監督からの突然のDMによ…

鍵谷陽平インタビュー 全6回(2回目)

インタビュー#1>>鍵谷陽平がセレモニーを一度は拒否したワケとは

 2024年9月25日、エスコンフィールドHOKKAIDO(以下エスコン)で引退試合を行なった鍵谷陽平氏。新庄剛志監督からの突然のDMによって、先発のマウンドに上がることになった。監督の粋な演出と選手たちの絆が生んだ感動の一日の舞台裏とは?


引退試合で打者ふたりを抑え、新庄剛志監督から熱い抱擁を受ける鍵谷陽平氏

 photo by Hosono Shinji

【新庄監督からの突然のDM】

── 引退試合の話に戻りますが、新庄監督からDM(ダイレクトメッセージ)が来て投げることになったんですよね。

鍵谷 はい。僕がファームの仙台遠征に行っていて、練習が終わってからInstagramを開いたらメッセージが来ていて、「あれっ?」と思って見たら新庄さんでした。

── 初めて?

鍵谷 DMが来たのは2回目です。

── 1回目は何のタイミングだったんですか?

鍵谷 1回目は支配下になってすぐくらいですかね。「ずっと見てるよ」「ちゃんと見てるからね」とメッセージが来ました。

── すごくやさしい人ですね。

鍵谷 ちょうど夏場の時期は、けっこう育成選手に送っていたみたいです。僕には「(9月)25日先発ね」「最後、楽しくかっこいい姿見せて」と。

── お〜! かっこいいですね。

鍵谷 監督にそこまで言われたら、「嫌です」とは絶対言えないじゃないですか(笑)。「承知しました」って返しました。そしたらすぐ、「その時、楽天と1ゲーム差とか縮まっていたらメチャメチャ興奮するね」と来たので、どんな状況でも投げるんだと......。それからは絶対ケガできないぞ、体調を整えなくちゃと思いました。

── シャレにならないぞと。

鍵谷 そしたら娘が引退試合の直前に風邪を引いたんですよ。「うわ、大丈夫か」と思って。でもエスコンに行く前に治ってくれたので、一緒に行けたからよかったです。

── 鍵谷家揃ってエスコンに行けてよかったですね。そういえば先発って、いつ以来ですか?

鍵谷 一軍ではルーキー以来です。3度目ですかね。

── 当日の雰囲気はどうでしたか? 以前から「エスコンはすごい」って聞いていたので。

鍵谷 いや〜、(しみじみと)よかったです。


引退試合で打者ふたりと対戦し、無安打に抑えた鍵谷陽平氏

 photo by Hosono Shinji

── 最後の登板で、しかも先発、さらにはマウンドもまっさら!

鍵谷 ファームのオープン戦でオイシックスとやった時もエスコンのマウンドに上ったんですけど、今回は満員だったこともあって、全然違いました。大事な試合だというのもありましたし、「うわ〜、気持ちいいな」と思いながら、でもまったく緊張しなくて......野球人生で一番緊張しなかったです。

── ほんとですか?

鍵谷 緊張はしなかったですけど、集中はしていました。音は遮断されてるけど、会話は聞こえるみたいな。だから精神状態も含めて、すごくいい状態で投げられたのかなと思います。

【打者ひとりのつもりが...】

── 楽天の先頭打者の小郷(裕哉)選手に対して初球147キロをマークしました。あとで聞いたのですが、「なんで150出なかったんだろう?」って思ったそうですね(笑)。

鍵谷 そうです(笑)。引退が決まったというのもあって、コンスタントに登板の機会があったんですよ。そしたら状態が上がってきたんです。鎌ヶ谷でも引退登板があったし、「これ、エスコンだったら150キロ出るんじゃないか」と本気で思っていました。でも、自分のなかで多少の自制心が働いたというか。フォアボールは絶対ダメだから、「初球はしっかりストライクを取らなくちゃ」と思ったんです。その微妙な自制が、あと3キロ出なかったのかもしれないです。

── 引退試合でしたが、どうやって抑えるかというミーティングをやったんですよね。

鍵谷 やりました。球場に着いて、打者1人って言われていたので、だったら小郷選手だよねとなって。(伏見)寅威がその時、腰痛で外れていて比較的時間があったので、「寅威、小郷選手ってどう?」と聞いたら、けっこう早打ちするみたいで「打ってくるんじゃない?」と。打ってこないじゃなく、打ってくる想定で考えようとなって、だったら初球はツーシームでセカンドゴロもあるなと。でも、「さすがに引退試合だから初球は打たないよね」となって、「じゃあ真っすぐでいって、2球目にツーシームでセカンドゴロに打ち取ろう」と。

── そのとおりの結果になりました。

鍵谷 スコアラーの方とも、対小郷選手用のミーティングをしていました。最後はツーシームで打ち取ろうというシナリオを考えて、実際そのとおりになったので、「よしっ!」と。

── 完璧だったと。

鍵谷 あと練習中に松本剛としゃべっていたんですけど、「投げ終わったらセンターからオレのところまで走ってこい」って言ったら、「行きます、行きます」って(笑)。後ろを見たらもう、セカンドベースぐらいまで来ていたんですよ。「剛、本当に来たわ」と思って、何気にベンチを見たら、新庄さんが人差し指をスッと立てていたんですよ。「もうひとり」のポーズで。「うわ、やべぇ。全然考えてなかった。でも、しょうがないか」と割りきって、もう田宮(裕涼)に任せて投げようと思いました。

── 2番バッターに関しては予習してなかったと。

鍵谷 でも小深田(大翔)くんは対戦したことがあったので、大体のイメージというか、雰囲気はわかっていました。

── スリーボールになってドキドキしました。

鍵谷 ドキドキしましたね。インハイに投げたスライダーが抜けたんです。「うわ、スライダー抜けた」と思って、「最後は真っすぐ、ど真ん中。ヒットだったらしょうがない」と開き直って、ど真ん中に投げました。

── しっかり差し込めていたし、ボールも強かったように思いました。

鍵谷 引退試合の真っすぐの感じだと、ある程度押し込めるという自信があったので、多少甘くなってもいいと、大胆に投げることができました。センター前に抜けるかなと思ったんですけど、結果、ショートへのハーフライナーだったので差し込めていましたね。2アウトになったので、もしかしたら......とも思ったのですが、今度こそ新庄さんが出てきて、「よかった〜」と(笑)。

── ホッとしますよね。

鍵谷 それまで新庄さんとは会話もほとんど交わしたことがないし、あいさつ程度だけだったんです。でも試合前にあいさつに行った時に声をかけてくださったり、セレモニーが終わったあとも声をかけてくださったりして、本当にいい方だなというか、温かい方だなと思いました。ほんと感謝しています。

── 花束をもらって監督とハグした時、いい匂いがしましたか?

鍵谷 しました(笑)。新庄さんの監督室がすごくいい匂いなんです。甘いというか、大人の香りというか。監督室でこんな匂いするところあるんだと思って。


引退セレモニーでは同期入団の大谷翔平選手からもメッセージが届いた

 photo by Hosono Shinji

【感動の引退セレモニー】

── この後のセレモニーがまた感動的でした。ロッテの澤村(拓一)選手は、映像で泣いていてビックリしました。

鍵谷 澤村さんすごかったですね。うれしかったです。

── 大学時代(中央大の先輩後輩)から、ずっと仲がいいですよね。

鍵谷 大学では、僕が1年の時に澤村さんが3年で、その時からの付き合いです。当時の中大は投手コーチがいなくて、基本的には選手が自分で考えて練習をするスタンスなんです。なので、練習をやる選手は一生懸命しますし、やらない選手はやらない。僕は澤村さんにお願いして、「一緒に練習やらせてください」って言ってから、仲良くしてもらっています。

── 毎年、自主トレも一緒にやっていましたね。

鍵谷 そうです。澤村さんには引退を電話で伝えました。電話でも涙もろかったですね(笑)。本当にいろいろお世話になりました。 

── あと、大谷翔平選手からのビデオメッセージが流れました。

鍵谷 ざわつきましたね。

── エスコンが「オ〜ッ!」と。ちょうど「50−50」で騒がれていたタイミングでしたね。

鍵谷 翔平は、さすがにないだろうと思っていました。一番大変な時期だったと思うし、僕も引退すると翔平に言ってなかったので、さすがにメッセージみたいなのはないだろうと。球団の方に感謝ですね。

── 大谷選手には何か言葉を返したんですか?

鍵谷 LINEで「ありがとう」「まだまだ頑張ってね」と送りました。そしたらデコピンのスタンプが返ってきました。いかにも翔平らしいなと(笑)。

つづく>>

鍵谷陽平(かぎや・ようへい)/1990年9月23日、北海道亀田郡七飯町出身。北海高から中央大に進み、2012年ドラフト3位で日本ハムに入団。1年目から38試合に登板するなど、おもにリリーフとして活躍。17年にはシーズン60試合に登板した。19年シーズン途中から巨人に移籍。23年オフに戦力外通告を受けるも、古巣である日本ハムと育成契約を交わす。24年7月に支配下になるも一軍登板の機会がなく、9月に現役引退を発表。25年から日本ハムのチームスタッフとして活動する。妻は女優の青谷優衣