引退インタビュー森脇良太(愛媛FC)前編 森脇良太(愛媛FC)が2024シーズン限りで現役を退いた。 2005年にアカデミーから昇格し、サンフレッチェ広島に加入。愛媛FCでの2年間の武者修行を経て、生涯の恩師と出会った広島で飛躍すると、20…
引退インタビュー
森脇良太(愛媛FC)前編
森脇良太(愛媛FC)が2024シーズン限りで現役を退いた。
2005年にアカデミーから昇格し、サンフレッチェ広島に加入。愛媛FCでの2年間の武者修行を経て、生涯の恩師と出会った広島で飛躍すると、2011年には日本代表にも選出されている。
その後、浦和レッズ、京都サンガF.C.でプレーしたあと、若かりし頃を過ごした愛媛で20年間の現役生活に幕を下ろした。
明るいキャラクターでチームを盛り上げ、率先していじられ役を買って出る。その振る舞いには賛否があったものの、その場の空気を明るくする「一流のムードメーカー」だった。
その一方で、「優勝請負人」としてもその名を広めた。国内クラブで獲得できるすべてのタイトルを手にした唯一の人物だ。
DFというポジションもあり、決して華やかなプレーヤーではなかったが、ピッチ内外でのパフォーマンスやエピソードも含め、多くの人の記憶に残る選手だろう。平坦だったとは言えないが、彼が歩んだ濃密な20年のキャリアを、饒舌に振り返ってもらった。
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森脇良太にサッカー選手としての20年を振り返ってもらった
photo by Sano Miki
── 20年間の現役生活、お疲れさまでした。引退を決断したのは、どういった理由からでしょう?
「ひとつは自分のなかで、20年間やりきったという気持ちがあるからです。30歳を過ぎたあたりから、いつサッカー人生が終わってもいいように、日々を全力で過ごすということをモットーにやってきました。
そのなかで、本当にすべてを出し尽くしたなと。次のキャリアに向かって、自分のエネルギーをまた使いたいという思いになったので、それが引退を決断した理由ですね」
── やりきった感があるということですね。
「そうです。あと、それ以外で言えば、身体の問題もあります。実は5〜6年前から左足の甲の痛みが引かず、2年前に検査したら疲労骨折していたんですよ。医者から治ることがないと言われたのでオペはせず、我慢しながらプレーしていました。調子がいい時は普通にできるんですけど、調子が悪い時は練習するのもしんどいぐらいで。
自分のモットーである、日々の練習を100パーセントでやりきるということが、ここ数年は難しくなっていました。100パーセントでできないのは、プロとしてどうなのか? そう自問した時に、それは違うよねと。そろそろ身を引くころかなと考えるようになりました」
【一番下からのスタート「絶対に見返すぞ」】
── 引退を決意した時は、寂寥感はあったのでしょうか。
「不思議となかったんですよ。当然、ずっと情熱を燃やしてやってきたことなので、サッカー選手を辞めるという寂しさは少しはあったんですけど、やりきったという思いのほうが強かったですね。
この20年間、自分のすべてを出しきったという意味では、未練はまったくありません。むしろ今は、次のステージに向けてワクワクしている自分がいます。もちろん、悔しい思い出はたくさんあるんですけど、サッカー人生において悔いはまったくないですね」
最後は愛媛FCでユニフォームを脱いだ
photo by Getty Images
── 現在の心境はいかがでしょうか。
「正直、実感がないというか。セレモニーをしてもらえたり、花束をもらったりしたので引退したんだなとは思うんですけど、今は例年どおりのシーズンオフを過ごしているような感覚ですね。
家にいても、子どもがまだ小さいので毎日バタバタしていて、じっくりと現役時代を振り返る時間もなく、引退したという実感が湧いてこないんですよ。もしかしたら新シーズンが始まったら、引退したと思うかもしれません。みんなはキャンプをやっているのに、俺は家にいるなって」
── 2005年にユースから昇格し、広島でプロのキャリアをスタートさせました。プロ1年目はなかなか試合に絡めませんでしたが、当時はどういった心境でしたか。
「僕がプロになった時、ユースから全部で5人が昇格したんですよ。僕のほかに、前田(俊介)、佐藤(昭大)、髙柳(一誠)、桒田(慎一朗)。あと高校生の時にプロ契約を結んでいた(髙萩)洋次郎も含めれば、同期は6人いました。
そもそもトップ昇格が決まった時に、強化の人から『良太は6番目や』と言われていました。上げようか、大学に行かそうか、悩んだと。でも、『良太には可能性があるから、トップでやってもらう。ただ、これから多くの努力が必要だよ』って言われて。
本当に一番下からのスタートだったので、とにかくやるしかなかったですね。絶対に見返すぞ、絶対に一番を取ってやるんだっていう思いでプロになりました」
【コンビニを見るたびに落ち込んだ日々】
── 髙萩選手や前田選手など同期が早くからプロの試合に出場するなかで、焦りはなかったですか。
「焦りもありましたし、悔しさもありました。試合に出たいけど、出られない悔しさっていうのは、常に抱いていましたよ」
── これは聞いた話ですが、プロ1年目の時はバスで練習場に向かうなかで、近くのコンビニが見えてくると気持ちが落ちていたそうですね。
「ポプラですね。そうなんです。寮のバスで練習場に向かうんですけど、ポプラが見えてくると、気持ちが沈みました。もう練習が始まるのか。今日もレベルが高い選手たちと一緒にやるのか。ミスを連発しちゃうのかなって、ネガティブなことばかりを考えていましたから。
プロ1年目は本当に練習に行くのが嫌なくらい、レベルの差を痛感させられて。ここでは自分はやっていけないんだと思い悩んだくらい、苦しい1年を過ごしていました」
── ポジティブなイメージが強いですから、そんな時期があったのは意外ですね。
「いや、苦しかったですね。でも、練習が終わると急に元気になって。また明日もがんばるぞっていう気持ちなるんですよね。ポジティブも、ネガティブも両方持っているんですよ。
練習するのが嫌だな、また怒られるのは嫌だなっていう思いもあったし、絶対に負けたくない、明日はいいプレーをするぞっていう思いもありました。でも次の日に、バスに乗って、ポプラが見えてくると、またそういう気持ちになってしまうんですよね」
── 2年目に愛媛FCにレンタル移籍することになりました。告げられたときはどう思いましたか。
「プロ1年目はカップ戦に1試合だけ出させてもらったんですけど、本当にズタボロにやられて自信を失いかけていました。チームからは『駒野(友一)選手がいるから、今は勝つのは難しい。レンタルで出て修行したほうが良太のためにもなるし、チームのためにもなる』と言われたんですけど、自分のなかではもうクビだなと。この先、広島でプレーすることはないんだなって、思ったんですね。
今でこそレンタル先で経験を積んで戻ってくるという流れが生まれていますけど、当時は片道切符がほとんどでしたから。自分もそこに当てはまってしまったんだなと思って、ものすごくショックでしたね。サンフレッチェが大好きだったし、このチームで結果を残したい。このチームでタイトルを獲りたいという思いが強かったですから」
【クルマは常にスパイク臭が蔓延】
── 結果的に、愛媛に移籍したことは大きなターニングポイントになりました。
「そうなんです。いろんな人に相談するなかで、自分は愛媛でがんばって、広島から戻ってきてくれって声をかけてもらえるようにやってやろうと。愛媛では本当にたくさんの試合に出させてもらって、そのなかでサッカーの楽しさだったり、プロの世界は試合に出てナンボだということをあらためて感じさせてもらいました。
試合に出て、勝ったらうれしいし、ファン・サポーターのみなさんと一緒に喜べる時間はこんなにも幸せなんだなってことを、愛媛で学ばせてもらった。試合に出るなかで、失った自信も徐々に取り戻すことができました。キャリアを振り返っても、愛媛での2年間は本当に大きかったと思います」
── 練習環境なども含め、厳しい部分もあったのでは?
「当時は練習場も転々としていましたし、シャワーがない場所もあったので、練習後に公園の水道をシャワー替わりにして汗を流すこともありました。
あとは当時、僕はクルマを持っていたんですけど、同じマンションに住んでいる先輩を何人か乗せて、練習場に行っていたんです。でも、J1のチームみたいにスパイクを置く場所がないので、自分のクルマのトランクがスパイク置き場になっていて。だから、僕のクルマは常にスパイク臭が蔓延していました(笑)。
夏場なんて、やばかったですよ。しかも、家に着いたらスパイクを持って降りてくれればいいのに、そのまま置きっぱなしにする人もいて。次の日クルマに乗ると、生乾きみたいな匂いがするんですよ。もう、勘弁してくれって思いましたけど、それも今考えたらいい思い出かなと。
環境はよくなかったけど、本当に楽しかったし、切磋琢磨して、みんなで這い上がるんだという強い思いを持った集団でした。今の愛媛にはすばらしい環境がありますけど、当時の厳しい環境のなかでハングリー精神というものが培われたと思います」
(つづく)
衝撃を受けたミシャの言葉「こんな監督がいるのか」
【profile】
森脇良太(もりわき・りょうた)
1986年4月6日生まれ、広島県福山市出身。2005年にサンフレッチェ広島ユースからトップチームに昇格。翌年から愛媛FCで2年間プレーしたのち、2008年に復帰してJ1優勝(2012年)に貢献する。2013年に浦和レッズへ移籍し、ルヴァンカップ、ACL、天皇杯を制す。その後、京都サンガF.C.を経て2022年から愛媛で再びプレーし、2024年シーズン後にユニフォームを脱いだ。日本代表歴=3試合得点。ポジション=DF。身長178cm、体重72kg。