2010年の天谷宗一郎氏はOP戦絶好調も…7月まで打率1割台と苦しんだ 流れが変わった。元広島外野手の天谷宗一郎氏(野球評論家)はプロ9年目の2010年、オープン戦で絶好調だった。就任1年目の野村謙二郎監督の期待も大きく、開幕戦(3月26日…
2010年の天谷宗一郎氏はOP戦絶好調も…7月まで打率1割台と苦しんだ
流れが変わった。元広島外野手の天谷宗一郎氏(野球評論家)はプロ9年目の2010年、オープン戦で絶好調だった。就任1年目の野村謙二郎監督の期待も大きく、開幕戦(3月26日、中日戦、ナゴヤドーム)は「3番・中堅」で起用されたが、シーズンに入ると一転して打棒が湿った。「オープン戦の最後の方で左ピッチャーの1球にもう……」。加えて助っ人からのひと言も気になってしまったという。
2010年について天谷氏は「オープン戦で(打率.396と)ゴリゴリに打っていた時ですよね」と振り返った。まさに絶好調だったが、開幕してからは思うような結果を残せなくなった。バットの調子は低空飛行が続き、7月終了時点で打率.190と苦しんだ。「オープン戦の最後の方で、ピッチャーは誰だったか忘れましたが、左ピッチャーでインサイドにシュートが来たんですよ。その1球がもう……。それまでは、ある程度イメージ通りにバットが出ていたんですけどね」。
その1球で打撃に狂いが生じたという。「インサイドのシュートをガチャッと打った時に、あれっ、どうやって打てばいいんだって思ったんです」。この“異変”を内田順三打撃統括コーチがいち早く察知。「ベンチに帰ったら内田さんが、バタバタって来て『今のインサイドのボール、忘れろよ』って言われた。見抜いていたんですよ。僕がそこに引っ張られるのを」と天谷氏は話したが、そのボールを忘れることはできなかった。
「そこから、あのボールばかり気になって……。必然的にインサイドが気になるんで、それでおかしくなった感じでしたね」。さらに気になったのが、広島助っ人ジャスティン・ヒューバー内野手のひと言だ。「あの年のオープン戦、僕は髪の毛をライオンみたいにしていたんですよ。茶髪のロン毛とまでは言わないけどボッサボサの。で、インサイドのシュートの件もあったし、心機一転で開幕と同時に切ったんです。そしたらヒューバーに『何で切ったんだ』と言われて……」。
それだけではない。「外国人って髪形とかでゲン担ぐじゃないですか。その時、ヒューバーに『お前、打てなくなるぞ!』みたいなこともひと言、言われたんですよ。『そんなこと言うなよ』って思いながら、それが気になりはじめちゃって。ちょっとオカルト的な感じですけどね」。本当に調子も落ちたから、なおさら、引っかかったようだ。しかも悪いことは重なる。4月10日の横浜戦(横浜)で「右肩が抜けた。ホームで(横浜捕手の)橋本将さんと交錯して……」という。
対戦した“最強投手”は岩隈…直球も変化球も「ピンポン球かっていうボール」
その時のことを天谷氏はこう明かす。「最初は(野村)監督に『明日いけるか』と言われて『行けます』と言ったんです。そしたら「わかった、じゃあ、明日はちょっと早めに球場に行くぞ」って。室内でバッティングしたんですけど、痛くて……。1球、打った時点で監督に『よし、抹消だ』って言われました。『その心意気は買うよ。10日やるから、治して戻ってこい』って」。その通り4月23日に1軍に復帰。だが、打撃の状態はなかなか戻らなかった。
4月28日の横浜戦(マツダ)では1試合4盗塁を記録したが、「それは今だから言えますけど(投手の)寺原(早人)に癖があったんです」という。「もう言ってもいいですかね。首が落ちればGOというものです。あの時、フォアボールとヒットで出て二盗三盗、二盗三盗なんですよ。それは今でも覚えています」。日南学園時代から注目を集めた剛腕・寺原とは同い年。「寺原は特別な存在でもありました。我々は寺原世代ですから」と、より研究した成果でもあったようだ。
5月29日の楽天戦(Kスタ宮城)では岩隈久志投手からシーズン3号アーチを放ったが「それもホントにたまたまで、運もよかったと思う」と話す。「僕は『今までで一番凄かったピッチャーは誰ですか』と聞かれたら『岩隈さん』って言っています。スライダーもフォークも、もうピンポン球かっていうボールなんですよ。卓球でスマッシュされた時の感覚。ズボーンってくるイメージ。それがストレートだけじゃなくてですよ。スライダーもフォークもスパ、スパ、スパ、って」。
そんな中での一発を天谷氏は「(球種)全部を追っかけたら無理だから、初めてです。最初で最後、ストレートで1、2、3でいいやと思って、1、2、3で打ったらホームランになりました。じゃないと打てないと思ったんですけど、それもたまたまですから」と説明する。実際、大投手からの本塁打も復調につながらなかった。スタメン落ちも増えてきた。調子を取り戻しはじめたのは8月以降。有名なホームランキャッチはその時に飛び出すことになる。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)