毎週往復3時間…伝え続けた感謝の気持ち「このままお別れしたら本気で後悔する」 必死の思いは祖父も同じだった。2024年限りでの引退を発表した古川侑利投手。2024年シーズンはソフトバンクの育成選手として支配下復帰を目指し、必死に腕を振り続け…
毎週往復3時間…伝え続けた感謝の気持ち「このままお別れしたら本気で後悔する」
必死の思いは祖父も同じだった。2024年限りでの引退を発表した古川侑利投手。2024年シーズンはソフトバンクの育成選手として支配下復帰を目指し、必死に腕を振り続けた。だが、その願いは叶わなかった。悔いを残さないために――。自身の置かれている立場を理解し、全力で取り組んできた右腕。その気持ちは大好きな祖父に対しても同じだった。
戦力外を通告されたのは10月6日だった。現役続行を願い、トレーニングに励む毎日。そんな日々の中で、1本の電話が鳴った。「夜中に『もう危ない』ってなって。福岡から車を飛ばして、嬉野まで行きました」。連絡は祖父が入院していた佐賀・嬉野市の病院からのものだった。
春季キャンプ中、祖父のがんが分かった。「医師に『桜を見られればいいね』って言われて。言葉にならない感情が込み上げてきました」。幼い頃から“おじいちゃん子”だった古川。楽天時代には佐賀から仙台まで駆け付けるほど、誰よりも応援してくれていた。だからこそ、限られた時間で感謝の思いを伝え続けることを決めた。
グラウンドで必死に戦う古川の姿が励みになったかのように、春、そして夏を乗り越えた祖父。「このままお別れしたら本気で後悔すると思ったので、週1でじいちゃんに家族で会いに行くようにしていました」。シーズンに入ると、往復3時間をかけて祖父を見舞った。
「よく昔の話をするようにしていました。一緒に虫取りに行ったよねとか、あれ美味しかったよねとか。そういう話をしましたね」。2人だけの大切な思い出。どんな話をしても覚えていてくれていたことが何よりも嬉しかった。もがき続けたプロ最終年を過ごす中で、それが古川の励みにもなっていた。
泣きながら1人で駆けつけた病院…最期に伝えた「今までありがとう」
祖父の容態が急変したという連絡を受けた10月中旬。病院についたのは明け方だった。「ばあちゃんにどうしても会わせたくて、ずっと『じいちゃん』って声をかけていました。じいちゃんも粘っていたんですけど、それは叶わなかったんです」。施設に入っている祖母は、夜中に外出することができなかった。なんとか夜が明けるまで――。そう願いを込めたが、思いは届かなかった。
「じいちゃんのために少しでも長く会えたらと思っていたので。今考えたら1時間半くらいかけて運転して、移動距離は結構あるなとは思うんですけど。それはそれで会いに行けたからよかったなと思います」
育成選手から支配下に返り咲くため、がむしゃらに過ごした1年。思うようなパフォーマンスを発揮できずに、2軍の遠征にも帯同できないことがあったが、ウエスタン・リーグの優勝を決めた9月27日の広島戦(由宇)では9回のマウンドを任されるなど、決して諦めることなく腕を振り続けてきた。苦しいシーズンだったことは間違いない。それでも祖父に会いに行くことは欠かさなかった。
「本当に会いに行って、よかったですね。亡くなってからも本当に寂しいですけど、ちゃんと気持ちを切り替えられたというか。今までありがとうねっていう感謝ですね」。戦力外通告からまもなくして訪れた悲しい別れ。その後に2024年限りでの現役引退を決断した。そんな右腕は、球団のアナリストとして新たな道を歩み出す。「後悔しないように」。何事にも全力を尽くしてきた男にとって、忘れられない10月になった。(飯田航平 / Kohei Iida)