岡豊が着実に力をつけていった理由 大げさな表現かもしれないが異彩を放っていた。イエローのユニフォームにグリーンの文字が東京体育…
岡豊が着実に力をつけていった理由
大げさな表現かもしれないが異彩を放っていた。イエローのユニフォームにグリーンの文字が東京体育館のコートに躍動する姿が、自然とファンの心をつかんでいったのかもしれない。
12月25日、『SoftBank ウインターカップ2024 令和6年度 第77回全国高等学校バスケットボール選手権大会』は大会3日目を迎え、女子3回戦8試合が行われた。第1試合には今夏の福岡インターハイでベスト4に入った昭和学院高校(千葉県)と岡豊が対戦。第1クォータを20−20、前半を37−41で終え、互角のスタートを切ったと思われたが、第3クォーターを9得点に抑えられると、最終スコア60−69で敗れた。
高校バスケ、特に女子についてはウインターカップがスタートした当時から私立が優勢を誇った。全国的に見ても公立高校が全国大会に出場するのが珍しい地域もある。しかし、今大会での岡豊の活躍は爪痕よりも確実に大きく、印象深い足跡を残したと言えるだろう。
女子3回戦に勝ち進んだ16チームのうち、唯一の公立校が岡豊。出場は4年連続17回目ということで、県下では強豪校の一つだが、近年は私立高校に押され、全国大会出場を逃すこともしばしばあった。また、出場したとしてもこれまでの最高成績は2回戦進出。つまり、インターハイ、ウインターカップで2回以上勝ったことがなかったわけだ。
それでも、この岡豊、昨年の大会の1回戦で、優勝経験があり多くのOGがWリーグでプレーした強豪の東京成徳大学高校(東京都)を63−59で破り、注目を集めた。話題になったのが、当時2年生だった伊藤知里だ。伊藤はこの試合、40分のフル出場で36得点をマーク。金星を挙げる立役者となった。
ただし、試合後のインタビューで、「いや、自分は40点取らないといけないので。まだまだかなと思います……」と満足はしてなかった。伊藤には「1試合40得点」というノルマを自校の川井文雄コーチから課せられており、それを達成できなかったために、複雑な表情を浮かべていたという。
それから1年、名実ともに岡豊のエースとなった伊藤は岡豊快進撃の原動力となった。1回戦の富士学苑高校(山梨県)戦では35得点(11リバウンド)、2回戦の小林高校(宮崎県)戦では25得点7リバウンドとスタッツを連発。リバウンドを奪ってからドライブで駆け上がり、ドライブやジャンプシュートでと得点を量産、さらにはコーナーに待つチームメートにパスをさばき、ゴール下の合わせのプレーを演出して、ゲームを支配した。
3年間の集大成と公立校の矜持を示す
これだけのパフォーマンスを発揮する選手だ。中学時代から注目を集め、強豪校からのリクルートの対象になるのではないかと想像できる。それについて川井コートに聞くと、ドライブの鋭さは地元では知られている存在だったが、他の選手と同様に「地元の普通の中学の子たちが入部してくれた中の一人」(川井)だったという。
それでも伊藤の将来性を見込んだ川井コーチが1年からスタートに抜擢、試合経験を積ませることで成長を促した。勝負を決める大事な場面でボールを伊藤に託すこともあったが、それこそトライ&エラーで覚えていったことも多かった。
そして、3年生の夏には「第32回日・韓・中ジュニア交流競技会」U18日本代表に選出。全国レベルの選手たちに揉まれたことで、伊藤は多くのことを吸収していった。代表から帰ってきた伊藤を見て、「ポイントガードのプレーを教えていただいて、特にアシストはパスを出せば決めてくるチームメートがいるので、プレーの幅を広げて帰ってきました」と、川井コーチは振り返った。
伊藤がいることで「チーム全体のレベルが上っていった」と語った川井コーチだが、それを後押ししたのがU18日清食品ブロックリーグとも加えた。
「リーグ戦なので1回負ければ終わりではありません。次々と対戦相が組まれているので、次の対戦相手をリクルートして、それにジャストする練習を続けることで、相手への対応力が本当についていきましたし、選手たちも手応えを感じていたはず」(川井)
こうして、伊藤とはじめとする岡豊の集大成がこの大会で発揮されることになる。
3回戦の昭和学院戦、前半までは互角の勝負ができたが、後半に入り伊藤を中心とする攻めにアジャストされて試合の主導権を握られていく。特に第3クォーターには伊藤のドライブが封じられ、ターンオーバーから得点を奪われることもあった。
第3クォーターを終えて、第4クォーターに入るブレイクで、川井コーチは「ドライブに固執する必要はない」と伊藤に伝えた。この言葉どおり、伊藤は最初のプレーで見事に3ポイントユートを決めてみせる。このシュートこそ、伊藤が川井コーチと築き上げたもの。伊藤は試合後のインタビューで、「入学したときから川井先生に先生に教えていただいて。自分でも大きく成長できた3年間だったと思います。川井先生には本当に感謝していますし、自分のこれからのバスケットキャリにつなげていきたいと思います」。
第4クォーターだけのスコアを見れば、16−12と岡豊が上回ったが、後半、ペースをつかんだ昭和学院の牙城を崩すことはできなかった。伊藤はノルマの40得点を達成したが、残念ながら勝利を導くことは叶わなかった。
その伊藤は岡豊での成長を糧に4月からはインカレ2連覇の白鷗大学に進むことが決まっている。
「高校生活に悔いはないです。チームの目標である2回戦突破は達成できたし、最後の最後で40点取れたし、悔しいですけど、やりきったなと思います。白鷗大では1年生から試合に出てキャリア積んで、将来代表入りを目指します」
伊藤をはじめとする選手たちとともに歩んだ川井コーチは「指導歴25年の中で今まで見たことのない景色を子どもたちに見せさせてもらいました」と言葉をつまらせた。「『公立の代表になれ』と子どもたちには言ってきましたが、私たちがこれだけやれたことで、公立校の皆さんに勇気を与えられればと思います。『自分たちも』と思ってもらえればうれしい限りです」
さらに「無名の中学の子たちが集まって、よくやってくれましたよ。ありがたいです。そして、サポートしてくれた保護者の皆さんにも感謝です」と言葉を続けた。
イエローのユニフォームは残念ながら大会3日目で去ることになった。それでも多くのファンの記憶に刻まれれている。大きな一歩を記した。
文=入江美紀雄
多彩なオフェンスで注目を集めた岡豊の伊藤知里