今シーズン、破竹の勢いだったバルセロナが、ラ・リーガで急激に失速している。首位独走だったのが、今やアトレティコ・マドリード、レアル・マドリードに迫られ、風前の灯だ。「ヤマル依存症だった!」 不振の入り口がラミン・ヤマルのケガによる欠場と重…

 今シーズン、破竹の勢いだったバルセロナが、ラ・リーガで急激に失速している。首位独走だったのが、今やアトレティコ・マドリード、レアル・マドリードに迫られ、風前の灯だ。

「ヤマル依存症だった!」

 不振の入り口がラミン・ヤマルのケガによる欠場と重なったことで、各メディアは失速の理由を、いっせいに書き立てた。

 11月に入って、バルサはレアル・ソシエダに敵地で1-0と敗れたあと、同じくアウェーでセルタに2-2と引き分け、ホームで1-2とラス・パルマスにも敗れた。マジョルカには敵地で1-5と大勝するも、ベティスには敵地で2-2とドロー。そして直近、ホームでのレガネス戦では、0-1と完封で敗れる失態だ。

 ヤマルのケガは失速の一因であっても、理由にはならない。なぜなら、ヤマルが復帰後も勝ち点を積み上げられていないからだ。復帰戦のラス・パルマス戦は負けているし、ベティス戦、レガネス戦も先発に復帰していたが、勝つことはできなかった。そして復帰後も、ヤマル自身は変わらない攻撃力を示しているだけに、彼が悪いわけでもない。

 では、なぜバルサは失速したのか?

 理由は端的に答えるべきだろう。

〈守りの脆さが浮き彫りになった〉


正念場を迎えているバルセロナのハンジ・フリック監督 photo by Nakashima Daisuke

 

 不振の理由は、そこに尽きる。

 たとえばレガネス戦で、バルサは開始早々にハイラインを敷いていたが、ロングボール1本を満足にはね返せず、GKと1対1の局面を作られている。イニャキ・ペーニャのファインセーブで救われたが、失点の兆候は漂っていた。その直後のCK、ヘディングシュートを叩き込まれたが、マークにつけていない。ゾーンディフェンスはわかるが、エリア内で多くの選手が突っ立ち、ペナルティスポットのあたりから、どフリーで叩き込まれるというのは無惨な光景だった。

 リードを奪われたバルサは、反撃に転じている。ペドリ、マルク・カサドなどのプレーメイクはスペクタクルだった。ラフィーニャも攻撃で渦を作り出せていた。

 ダニ・オルモはライン間のスペースを感じる天才で、前半にジュル・クンデのクロスを最終ラインの前に入ってヘディングシュート。後半に同じくライン間でパスを受け、ターンからクンデにラストパスを送っており、どちらもゴールになってもおかしくなかった。

 しかし、得点は決まらず、彼らは一発に泣いた。

【レアル・マドリード戦は大当たりしたが...】

 実はオールドファンにとって、この光景は目新しいものではない。バルサはもともと、"こういうチーム"なのだ。

「こういう」は、「不安定な」に言い換えてもいいだろう。矛盾しているようだが、その危うさこそ、彼らの根源的な魅力でもあった。どう転ぶかわからない、それでも攻め続けるサッカーが世界中を魅了した。驚嘆すべき攻撃力は、いつだってやわで脆い守備と表裏一体だったのだ。

 バルサは今も、中興の祖であるヨハン・クライフが編み出した「無様に勝つな」という伝統が息づくクラブである。「美しく勝利せよ」という唯一無二の考え方が、彼らの土台にある。美しさとは、ボールをつなぎ、転がし、ゴールに迫るひらめきを指し、「ボールを持っていれば失点しない」のが論理の出発点である。当然、選手育成や補強もその路線になり、監督にもボールゲーム中心の采配が求められる。

 今も昔も、バルサはクライフが紡ぎ出した"縛り"のなかで力を発揮している。フランク・ライカールも、ジョゼップ・グアルディオラも、ルイス・エンリケも、多かれ少なかれ、その縛りからは逃れられない。それに反旗を翻すことは誰であろうと許されず、時代の変化のなか、縛りをアジャストさせることで、バルサはバルサとして立ち行くのだ。

 今シーズン、監督に就任したハンジ・フリックは、ハイプレス、ハイラインを敷くことで、伝統の攻撃的サッカーを旋回させていた。攻撃的な守備姿勢で、攻撃こそ防御なり、を成立させたというのか。レアル・マドリード戦ではそれが大当たりした。何度となく、キリアン・エムバペをオフサイドの罠に捕らえ、サンティアゴ・ベルナベウで0-4と凱歌をあげたのだ。

 しかし、その後に対戦するチームは、徹底的にバルサの戦いを研究していた。オフサイドを警戒しながら、むしろハイラインの背後を狙う攻撃が活発化。そこに勝機を見出すようになった(チャンピオンズリーグでバルサが好調を維持できているのは、欧州レベルではまだ十分に対策ができていないのだろう)。

 バルサの選手はボールプレーに優れ、攻撃に特長があり、守り抜くためには存在していない。たとえばパウ・クバルシの代わりに先発したセンターバック、エリック・ガルシアはMFも顔負けのテクニックを誇るが、対人プレーの弱さは致命的である。守りに入ったら、自ずと弱みが出る選手が多い。これは選手編成、もしくは構造上の話だ。

 フリックがどれだけマーキングの大切さを説いても、あるいは優れたフィジカルトレーナーが最大限に体力を高めても、選手のキャラクターがある以上、限界がある。プレッシングのオーガナイズはできても、守る、というところでは弱点をさらけ出す。ハイラインの裏はこれからも狙われるだろうし、セットプレーでのマークの甘さは何度も指摘されることになるだろう。

 わかっていても、修正には限度がある。

 考えようによっては、今、起こっている失速は懸念するようなことではない。伝統には常に明と暗がある。今は後者の色が強いだけ......。

 フリック監督は、バルサという歴史と対峙しながら、次の舵を切ることになるだろう。