今年2月に自身のインスタライブ配信で現役引退を発表した松井大輔。2000年に加入した京都を皮切りに、国内4クラブ、海外9クラブでプレーし、フットサルとの二刀流にも挑戦した偉大なフットボーラーの引退試合が12月15日にニッパツ三ツ沢球技場で…
今年2月に自身のインスタライブ配信で現役引退を発表した松井大輔。2000年に加入した京都を皮切りに、国内4クラブ、海外9クラブでプレーし、フットサルとの二刀流にも挑戦した偉大なフットボーラーの引退試合が12月15日にニッパツ三ツ沢球技場で行われた。
18歳だった時から師事する大先輩・三浦知良(鈴鹿)を筆頭に数々のサッカー仲間、他競技の選手、アーティストらが集う中、最後の最後には2010年南アフリカワールドカップ(W杯)・パラグアイ戦でPKを失敗した駒野友一(広島スクールコーチ)のPK払拭シーンも盛り込まれ、見る者の感動を誘った。
こうした中、ひと際注目されたのは、同じ南アW杯・カメルーン戦で松井の右クロスから日本を勝利へと導く先制弾を挙げた本田圭佑。2021年にリトアニア1部のスードゥヴァ・マリアンポレでプレーした後は所属なしの状態が続いているが、今年7月にはブータン・プレミアリーグのパロFCで1試合限定契約を締結。久しぶりに公式戦のピッチに立った。さらに、10月にも同様の1試合限定で出場し、自身10か国目のゴールをゲット。38歳になった今も「世界各国で得点を取る」という目標に向かって進んでいる様子だ。
松井が企画したカメルーン戦得点場面再現に関しては「最初は知らなかった」と言う。
「大ちゃんが出てきてボールを持った時に、周りが『ファー、ファー行け』っていうんで『どういう意味やねん。ここからワンツーで崩した方が崩れるやろ』と思いながら、2・3秒差で気づいてっていう感じです」と笑う。
■「僕は特に引退するつもりはない」
ただ、14年半前のあの一撃が本田の代表人生を決定づけたのは確か。彼は南アW杯のデンマーク戦、2014年ブラジルW杯のコートジボワール戦、そして2018年ロシアW杯のセネガル戦でゴールし、日本代表歴代最多の4点という数字を叩き出している。だからこそ、恒常的なプレー環境がない今も「シュミテクト」や「プログリット」など複数CMに出演。圧倒的な存在感を示し続けているのだ。
「今までで一番記憶に残っているゴールという質問をよく受けるんですけど、そのゴールだと答えてきました。初めてのW杯でのゴールは一番大きかったし、結果的に大ちゃんのアシストということは感謝しなければいけないと思います」と当時のホットラインにしみじみと述懐していた。
同い年の岡崎慎司(バサラ・マインツ監督)が指導者に転身し、長友佑都(FC東京)はいまだ日本代表としてプレー、細貝萌(群馬)がクラブ社長の道を踏み出すなど、同じ86年組の面々もさまざまな道を歩んでいるが、本田は「現役をやめるつもりはない」とキッパリ言う。
「何度も話しているんですけど、僕は特に引退するつもりはないので。サッカーやめてる時は勝手にやめてるんで(笑)。大ちゃんはすでに次の道に進み始めていると聞いているので、そっちでも一緒に活動していければいいと思います」と本田は前向きに発言。Fリーグ(日本フットサルリーグ)理事長を務める松井と、独自ルールの4人制サッカー全国大会「4v4」の発起人である本田は確かに連携できそうなところが少なくないだろう。2025年以降のコラボレーションが期待されるところだ。
■本田「日本のレベルは上がり続けている」
彼ら2人の共通する思いは「日本を世界トップに押し上げること」。それは世界複数国でチャレンジを続けてきた2人だからこそ、より強く考えるところだろう。
「日本のレベルは上がり続けているし、今後さらにスピードを上げていけるように協会をはじめ、サッカー界の全てにかかわる人が意識してやらないといけない。なかなか簡単なことではないけど、それが重要ですね」と本田は強調する。23人中18人が引退した南ア戦士たちはそのけん引役にならなければいけないはずだ。
ビジネス領域で多彩な活動をしている本田は超多忙な日々を送っているはずだが、彼の本業はやはりサッカー。「W杯優勝」を最初に公言した人間として、そこにより尽力してほしいものである。
(取材・文/元川悦子)
(後編へつづく)