「憲剛に誘ってもらってから、“本当の最後”はここなんだろうなと思っていました」 鬼木達監督は、川崎フロンターレでの表に出…

「憲剛に誘ってもらってから、“本当の最後”はここなんだろうなと思っていました」

 鬼木達監督は、川崎フロンターレでの表に出る最後の活動を、中村憲剛の引退試合だと秘めていたのだという。

 公式戦としてはリーグ最終節のアビスパ福岡戦が最後。しかし、12月14日が、川崎フロンターレとの別れの場になるとイメージしていたのだと明かす。
 そんな引退試合への中村本人からの誘いはどのようなものだったのか。鬼木監督に聞けば、「まあね、それもね、……けっこう深いからあんまり言えないですね(笑)。なって言ったらいいだろうな……。憲剛が……。難しいっすね、表現が難しいですね(笑)」と言うように、さまざまな背景があったようだ。
 実際、鬼木監督は今季終盤に難しい時期を過ごしていた。10月16日にクラブを通じて退任の発表が行われたが、その話し合いはそれより前のこと。今季、思うように白星が得られない中で、視線はチーム成績を上向かせることに集中していた。
 そんな中で、「でも、“このタイミングで来たか”っていう感じのところで(引退試合の出場のお願いが)来てくれて、1回お願いされて、”できれば(出てほしい)”って」と明かす。
「まだ試合もあったし、返事は本当に最終戦が終わってからでかまわないんで、みたいな感じで言ってくれて。で、いろんな話をして。これも言ったらあれなのかな……?」
 そう目を細くして鬼木監督が話しを向けたのは、12月7日のことである。

■鬼木監督「僕もお礼を言えた」

 チームの今季最終戦は、8日に行われたアビスパ福岡戦だ。その前日、鬼木監督にとってこのチームでの最後の練習が麻生で行われていた。そこに、中村が訪れたのだという。
 福岡戦に向けて念入りに準備を進め、戦い方や戦術を共有。選手やスタッフが翌日の試合に向けてバラバラになり、誰もいなくなった中で、2人だけの時間が設けられた。
「いろいろ話しました」
 鬼木監督が短い言葉で振り返るその時間に、川崎フロンターレを強くするために共闘してきた関係性だからこその会話が繰り広げられた。
「本当にいろんな思いがありました」
 思い出話だけではないその中で、引退試合への出場の返事もしたという。2人にしか分からない感情と想いが、12月14日の競演へと道を描いていった。
 そんな中村への思いが強いからこそ、13日に等々力競技場で行われた「前夜祭」への参加にも踏み切らせた。
「今日(=引退試合)は憲剛が忙しいから、そんなに話す時間とかもないだろうなと思ったので、昨日の練習に出た方がいいかなと。でも、意外と今日も話す時間があったので良かったです」
 時間を決めて話すわけではないが、ふとした時間に言葉をかわしておきたい。そんな気持ちがあったという。
「僕もお礼を言えた」
 そう話す鬼木監督の笑顔は、晴れ晴れとしていた。

■鬼木監督「本当に花束が似合う男でした」

 川崎フロンターレの武器の一つは、絆だ。その中心にいた鬼木達と中村憲剛の関係性が、何よりもその証拠である。そしてそれが、次の世代へと伝播していく。
 谷口彰悟も、それを受けて成長した一人。鬼木監督の元でキャプテンを務めて“最強のチーム”の称号を欲しいままにした33歳のCBは、ベルギーでの負傷後、一時帰国していた。その中で、鬼木監督の退任の話を知る。
 プロ入り後からお世話になっている恩師のために何かできないか――居ても立っても居られなくなった谷口が起こした行動は、花束を持ってクラブハウスに向かうこと。
「あんまり言うとあいつは嫌がるからあれですけど、本当に花束が似合う男でしたよ。ありがたかったし、いろんな思いがありますね」
 鬼木監督は感謝をそう言葉に表す。
※        ※
 中村憲剛はピッチの上からは離れており、谷口もすでに海外に羽ばたき、鬼木監督も来季からは違うチームの指揮を執る。それでも、3人が、いや、これまで多くの人々が積み重ねてきた川崎フロンターレらしさはこのチームに残っている。何より、その空気を存分に知っているサポーターが常にそばにいる。
 監督が100人いれば戦術が100通りあるように、来季、新監督のもとで戦い方は変わるはず。それでも、変わらないであろう精神的な強さはきっとある。その強さを胸に秘めて、川崎フロンターレは歩き出す。8つ目のタイトルを取るために、そして、新たな歴史を刻むために。
(取材・文/中地拓也)

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