連載 怪物・江川卓伝〜八重樫幸雄が抱いた特別な感情(前編)過去の連載記事一覧>> 人の印象ほど千差万別なことはない。ただ、大体のベクトルは決まってくるものだ。 1980年代のヤクルトで、オープンスタンスからいぶし銀のごとく快打を放った八重樫…
連載 怪物・江川卓伝〜八重樫幸雄が抱いた特別な感情(前編)
過去の連載記事一覧>>
人の印象ほど千差万別なことはない。ただ、大体のベクトルは決まってくるものだ。
1980年代のヤクルトで、オープンスタンスからいぶし銀のごとく快打を放った八重樫幸雄は、ひと昔前の典型的なキャッチャー体型で、いつも鬼瓦のような形相をしていたイメージだった。しかし実物に触れると、気はやさしくて力持ちを地でいく"東北男児"の雰囲気をまとっている。
強打の捕手として69年のドラフトでアトムズ(現・ヤクルト)から1位で指名された八重樫幸雄
photo by Sankei Visual
【打ちにいったらデッドボール】
そんな八重樫に江川卓との対決の印象的なシーンを聞くと、ほかの打者とはまったく違う視点から語った。
「ちょうど僕がレギュラーを獲りかけた年の平和台球場での試合(1984年4月18日)で、ランナーは一、二塁だったかな。インハイのボールが来たので打ちにいったら、そのまま左腕に当たったんですよ。まさか当たるとは思わなかっただけにビックリした記憶があります。自分の感覚より早くボールが来ちゃって......。その日はなんともなかったんだけど、次の日に腕がパンパンに腫れてね。
僕は高めの球が好きだから、インハイのボールは振りにいきます。江川って、バッターの好きなコースにあえて投げ込み、空振りを取るのが好きなんです。ふつうの投手なら、少々のボール球でも高めは当たるんですよ。でも、江川のボールは捉えたと思っても当たらない。もう空振りばっかり。『すごい』のひと言ですよ。あとでビデオを見たら、ボールの下を振っているんですよ。それだけボールが伸びている証拠。今までそういうピッチャーっていませんでしたからね」
江川は速球派にして、正確無比なコントロールも兼ね備えた投手だ。現役時代の9年間で与四球は443個で、与死球は23個。84年は3個の死球を与えたが、そのうちの1個が八重樫だった。
【似て非なる江夏豊と江川卓】
八重樫にとって、球が速くてコントロールのいいピッチャーといえば江夏豊だった。その江夏と江川を比較しながら話してくれた。
「ともに真っすぐが速くて、高めの球で三振を奪うタイプ。ただ江夏さんは、コーナーにきっちり投げ分けて追い込み、高めのつり球で空振りさせる。僕なんてアウトローの球で簡単に追い込まれ、最後は高めの真っすぐで空振り三振。カーブを投げるようになってからは、アウトローでポンポンとストライクを取って、縦のカーブを1球放って終わりですよ。
全盛期の江川は、真っすぐ一本。コーナーというよりストライクゾーンに投げ込んで、ファウルでカウントを整えて、高めのストレートで空振りを奪う。よそのチームとの試合のビデオを見ても、結局、みんな高めのストレートで打ちとられている。クリーンアップには外のカーブで入って、あとは全部インサイド高めの真っすぐ。その球をみんな空振りしていましたね」
江夏と江川は、基本的に攻め方がまったく違う。江夏が武器とするのはアウトローだが、そもそも初球からアウトローのボールに手を出してくる打者はほとんどいない。八重樫が言う。
「亡くなられた大杉勝男さんとね、そういう話をしたことあるのよ。大杉さんは『クリーンアップっていうのは、常にここ(インサイド)を待っているんだ』と言うんですよ。だから、アウトコースは見えてないですよね。これを江夏さんが見つけて、簡単にストライクを取れるようになった。スピードがなくても、コースを間違わなければポンポンとカウントを稼げる。バッターもわかっているけど、それでも徹底してアウトローで攻める。それが江夏さんのピッチングでした」
江夏は空振りよりも、手も足も出ない見逃しの三振を奪うのが好きだ。一方の江川は、見逃しよりもバッターが絶対に手を出してくるコースで空振り三振を取るのがロマンだと感じていた。
【初めて見るピッチャーだった】
麻雀においても、江夏は状況を見ながら早い手作りで上がって運を引き込む。対して江川は、大きな役で上がるのを好む。これだけでも性格の違いが如実に出ている。
「僕は、江夏さんが今まで出会ったピッチャーのなかで一番だと思っていた。江川が出てきた時も、最初はそんな大した感じではなかったんですよ。でも、実際に打席に立つと『なんで当たらないんだ?』ってなる。ふつう打席に立てば、ファウルにできる球って必ず一球はあるんですよ。それなのに江川のボールって一球も当たらないんです。振った時にボールはキャッチャーミットの中ですよ。『なんだ、これは⁉︎』ですよ」
1969年に高校球界屈指のスラッガーとして、仙台商業からドラフト1位でアトムズ(現・ヤクルト)から指名を受けた八重樫。入団当初は外野守備をするほど、パンチ力あるバッティングに定評があった。
1983年には97試合でホームラン16本、翌年は124試合でホームラン18本と"打てるキャッチャー"として台頭する。ちなみに江川がデビューした79年は、74試合の出場で打率こそ.208だが、ホームランは10本放っている。そんな八重樫でも、江川の球は打てないどころか、ファウルにさえできなかった。
「"怪物"って言っても、『オレのほうが歳は上だし......』って思っていたんだけど、ボールを見るとまったく後輩って感じがしないんだよね。野球をやってきて、初めて見るピッチャーだった。今までレジェンドと呼ばれたピッチャーがいたけど、江川のように高校時代から数々の記録を残して伝説になった人っていないと思うんだよね。対戦したヤツに聞いたら、もっともっといろんなものが出てくるはず」
江川をピッチャーとして完全に認めている八重樫だが、"人間・江川卓"に対してはまだまだ懐疑的な部分を持っていた。
(文中敬称略)
つづく>>
江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している