古巣ヤンキース傘下マイナーで指導者として手腕発揮、松井秀喜氏の今 選手生活を終えて5年がたつ。米大リーグ、ヤンキースのゼネラルマネジャー特別アドバイザーを務める松井秀喜氏は傘下のマイナーリーグで打撃指導を担当する充実の日々を送っている。編成…
古巣ヤンキース傘下マイナーで指導者として手腕発揮、松井秀喜氏の今
選手生活を終えて5年がたつ。米大リーグ、ヤンキースのゼネラルマネジャー特別アドバイザーを務める松井秀喜氏は傘下のマイナーリーグで打撃指導を担当する充実の日々を送っている。編成にも携わる現在の仕事や、日本球界への思いなどについてニューヨーク州にある1Aスタテンアイランドの本拠地で聞いた。全3回の特別インタビュー。第1回は「指導者・松井氏の今」について。(聞き手・江戸川大学メディアコミュニケーション学部教授、神田洋)
引退発表から間もない2013年の1月、ヤンキースのブライアン・キャッシュマン・ゼネラルマネジャー(GM)とジーン・アフターマン副GMは松井氏に接触してフロント入りを打診したという。関係者によると球団はアジア担当の渉外に近い仕事を考えていたが、松井氏がグラウンドで指導することを希望。2年間は時間のある時にマイナーリーグの練習で補佐役を務め、15年3月に現職に就いた。
この3年間は主にニューヨーク近郊の3Aスクラントン(ペンシルベニア州)、2Aトレントン(ニュージャージー州)、1Aスタテンアイランドを巡回。時にはサウスカロライナ州の1Aチャールストンやフロリダ州の1Aタンパにも足を延ばす。
「打撃指導を希望したのは、話をいただいた時点で、自分がヤンキースという組織の力になれる唯一の仕事だと思ったから。僕にできるのはこれくらいかなと。フロントの仕事もやろうと思えば自分なりにできるとは思うが、これまでの経験を一番生かせるのは、将来のある選手たちに打撃について伝えることだと思った。なおかつ現在は現場からもう少し踏み込んだ編成に関わっている。
例えばよくあるのは『ヒデキだったらどの選手をキープしたい』とキャッシュマンGMに判断を求められること。どこまで組織の力になれているかは分からないが、そういう判断は選手を定期的に見ていないとできない。そこには責任が伴う。自分にとって貴重な経験をしている。
巡回中はだいたい1カ所で2、3試合続けて見るようにしている。最低でも2試合は続けて見たい。そうすれば選手の今の状況がだいたい分かる。成績を見れば年間を通してどんな働きをしたかは分かるが、それだけでは感じることができない部分が多い」
「英語では毎日苦労している。伝えたいことを伝え切れない」
練習が行われているフィールドでは監督、コーチと言葉を交わしながら選手の打撃フォームに見入っていることが多い。練習を止めて話しかけることはほとんどない。一方、ベンチに入り、ダッグアウトの最前列でプレーを見守る試合中は、話しかけてくる選手にその都度指示を与える。選手時代とは違い、通訳を介さないやりとりとなる。
「ベンチの一番前で見ていると相手投手のことを聞いてきたりするので、自分ならこういう意識で打席に入る、という風につたない英語で伝えている。マイナーに通い続けてお互いに面識ができたので彼らも話しかけやすくなっているのかと思う。ベンチではそんなに深いことは話さない。技術というより、試合では投手に対するアプローチの話になる。技術指導とは違う投手を攻略するための打席での意識の話。この投手だったらどういう意識で打席に立つかということが大切になってくる。
英語では毎日苦労している。伝えたいことを伝え切れない。10伝えたいのに6か7くらいしか伝えられないジレンマ。勉強して何とかなる部分もあるけど、感覚的なものは日本語でもなかなか伝わらない。これはアメリカにいる以上永遠のテーマでしょう。自分の思っていることをいかに伝えるかは」
現役最後の年となった12年にレイズのマイナーに所属したことはあるが、わずか13試合の出場だった。組織の傘下で育てられる他の選手と違い、日本のプロ野球からフリーエージェント(FA)移籍した松井氏は引退して初めてマイナーリーグを深く知る機会を得た。
「マイナーは若い選手の生存競争。競争は残酷なものだ。すぐに首になる残酷さというのは日本にはなかなかないかな。球団幹部はマイナーの勝敗にはあまりこだわっていないと感じる。とにかくいい選手をメジャーに送り込んでくれという姿勢だ。ただその中でも選手はチームで勝利を目指している。個人の競争なのだけど、試合で一丸となって勝利を目指すのは不変なのだと思う。アメリカならではの現実もある。活躍する選手ほどトレードの駒となりやすく、ヤンキースを離れてしまうことが多い。それもマイナーの一部だ。
日本のファンには想像できないかもしれないが、2Aのトレントンのようにいつも観客がたくさん入ってビジネスとしてうまくいっているチームもある。例えば日本の選手がこの(スタテンアイランドの)マイナーの一球場を見たら、日本の球場と比べて美しさに感動するはずだ。僕はずっといて慣れてしまっているけど、もし日本から来たら何ていい球場なのだろうと感動する。絶対にそう思う。いくらマイナーでもそういった良さはある」
「今こうして指導するときに『だよね』と長嶋監督に共感する気持ちがある」
選手時代は「開き直る」という言葉を嫌い、打撃を理詰めで考え抜くことで知られていた。指導の信条は「自分を選手に置き換え、頭の中で他人の肉体を使ってバットを振る」というほど、選手の立場になって考えること。2Aトレントンのボビー・ミッチェル監督らは指導力を高く評価する。
松井秀喜氏の著書「エキストラ・イニングス 僕の野球論」
「考え抜くのが当たり前だと思っていた。それが今の仕事に役立っているかは分からない。打撃技術の向上や不振からの脱出は何か違うことで解決できる問題でない。自分の頭で考える以外に道はない。考え抜くしか何かを導き出す方法はないと思ってきた。
指導する立場となって感じるのは、悪い点を指摘するのは簡単だということ。打撃を見ればすぐ気付くし『こうすればいいのに』と言える。でも指摘されてそれを直すすべを選手が持っているかと言ったら、持っている選手はほとんどいない。変わる必要性を選手にどう気付かせ、納得させて改善するか。コーチが見て良くなったと評価できる形で、かつ選手自身の感覚でもいいと思えるものを導き出さなければいけない。指導するうえで一番難しい部分だ。
指摘することと、変わるように導いてやることは全く別で、両方やって初めて指導者と言える。『こうなっているから、こうしろよ』と指摘するだけの指導者なら、はっきり言って簡単だ。本当に賢い選手はいるのかもしれないけど、普通は『じゃあどうしたらいいの』となる。この仕事を3年間やって難しさを痛感している。納得させて本人が変わるように持っていく。それは日本語を駆使したとしても難しい。自分が突き当たっている壁かなと思う」
選手時代は「ラッキーでした」が試合後の決まり文句で、打撃技術について細かいことをあまり語らなかった。「自分の感覚は誰にも分からない」と考えることもあったという。極めてプライベートなことと捉えていた打撃技術を他人と共有するのが仕事となった。
「自分が作り上げてきた打撃と他人が作り上げてきた過程やそこから得た感覚は共有するのは不可能に近いと思う。だからこそ、長嶋茂雄監督は松井秀喜に毎日ほぼ同じことを言っていた。その気持ちが分かる。毎日口を酸っぱくして言って、同じ時間を共有しても監督は『まだまだだよ』という差を感じていたと思う。だからこそ毎日やっていた。監督の要求を満たしていたとは自分でも思わない。ただ、その日々の積み重ねで成長できたし、今こうして指導するときに『だよね』と監督に共感する気持ちがある」
(特別インタビュー第2回では、松井氏がヤンキースの2人の新星、ジャッジとサンチェスについて語る)
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