歓声を背にターンを決める姿に見とれていた少年は、10年以上の時を経て応援される側になった。11月中旬、関西大経済学部に在学中の吉田一心選手(20)が、ボートレース住之江(大阪市住之江区)でプロデビューを果たした。業界では珍しい「二刀流」だ…

 歓声を背にターンを決める姿に見とれていた少年は、10年以上の時を経て応援される側になった。11月中旬、関西大経済学部に在学中の吉田一心選手(20)が、ボートレース住之江(大阪市住之江区)でプロデビューを果たした。業界では珍しい「二刀流」だ。

 ボートレースとの最初の出会いは早かった。堺市出身で、初めて住之江に来たのは小学校に入る前。それから、よく祖父母に連れてきてもらった。

 出場する6艇が最初に曲がるコーナー付近が大のお気に入りだった。「ターンが格好よくて。売店で買ってもらったおでんを手に、ずーっと、ずーっと見ていた」

 祖父が体調を崩したこともあり、中学生になるとボートレースから遠ざかった。大阪・関大北陽高では硬式テニスに励み、社会の根幹である経済を学びたいと経済学部へ進学。フットサルサークルに入った。

 転機は2023年、大学1年の冬だった。SNSを見ていたら、ボートレーサー募集の広告が目にとまった。

 「その時にふと、ボートレーサーに憧れていた子どもの頃を思い出して。将来のことも考えはじめなきゃと思っていたタイミングだったから、選択肢の一つになるかなと思った」

 ボートレーサー養成所の試験は倍率が20倍にもなる「狭き門」だ。まずは経験してみようという気持ちで同年5月にあった試験を受けた。

 学科などの1次試験に続き、福岡県柳川市の養成所で行われた2次試験も突破。約2カ月後、1千人を超える志願者のうち51人しかいない合格者の一人になった。

 ただ、この時点ではまだ気持ちが固まっていなかった。合格通知を受け取ってから、苦悩の日々が2週間ほど続いた。

 背中を押してくれたのは、妹の一言だった。「『受かったのに入りません』なんてことするくらいなら、他の人に入学の権利をあげたらいいやん」

 「確かにそうだよなって。受け直して、また合格できるかは分からない。せっかくのチャンスなんだから、という気持ちにさせてくれた」と吉田選手。大学を休学して10月から約1年に及ぶ養成所生活を送り、今年9月、訓練生活を締めくくる「修了記念競走」で優勝した。

 訓練が終わるとすぐ、復学した。ボートレーサーはレース開催に合わせ、レース場近くの宿舎で缶詰め生活を強いられる。ただ毎週レースに出るわけではないため、大学に行く時間もある程度は取れる。

 あえて二足のわらじを履くことにしたのは「大学受験のためにがんばってきた過去の自分がいる。あっさりやめたら、その努力を台無しにしてしまう」と思ったからだ。

 待望のデビュー戦は11月16日で、5着だった。そこから30日まで計15レースに出て、まだ勝利は挙げられていない。

 初レースを終えた感想は「たくさんのお客さんがいて、水面から見ていて圧倒された」。新たな生活に慣れるだけでなく、レースを左右すると言われるプロペラの調整や、レースの流れを読む力など学ぶことも多い。

 「厳しい世界だけど、結果を早く残したい」。プロとして言い切った上で、こう続けた。「大学は他の人より時間はかかる。でも、絶対に卒業したい。自分にとっては、どちらも大切だから」(松沢憲司)