10月のドラフト会議で阪神から指名を受けた9選手(1~5位・育成1~4位)の連載をお届けする。今回はドラフト4位・町田隼乙捕手(21)=BC埼玉=が、光明相模原高でドラフト指名漏れして大学進学ではなく入団決意したBC・埼玉時代を振り返る。…
10月のドラフト会議で阪神から指名を受けた9選手(1~5位・育成1~4位)の連載をお届けする。今回はドラフト4位・町田隼乙捕手(21)=BC埼玉=が、光明相模原高でドラフト指名漏れして大学進学ではなく入団決意したBC・埼玉時代を振り返る。
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町田は光明相模原高3年時、「せっかくなら挑戦したい」とプロ志望届を提出したが、指名漏れした。もちろん悔しさはあった。ただ、「どこも足りなかったし、冷静に考えたらそうだよな」と納得する部分もあった。一方でよりプロへの思いは強くなった。
そんな時、独立リーグのBC・埼玉武蔵ヒートベアーズに声をかけられていた。大学からの話もあったが、1年でも早くプロに行きたい一心で初めて親元を離れ、BC・埼玉に入団することを決意。NPBの選手と対戦できること、試合にすぐ出られる環境が魅力的だった。
入団後、打撃向上のカギとなったのが、清田育宏監督(38)の言葉だった。町田はチーム事情もあり1年目から57試合に出場したが、直球にさされることが多く、伸び悩んでいた。その時、当時解説で訪れていた清田氏に助言を受けた。「早めに足を上げてゆっくりタイミングを取った方がいい」。今まで、町田にはなかった感覚だった。そこから常に早めの始動を意識した。
ロッテに所属し、NPBで活躍した清田監督は「元々力のある子で、打球もすごい飛んでいました」と町田に潜在能力を感じていた。一方で「力があるのに思いっきり振っているところがあった。僕の経験上、ぶんぶん振り回していたら確率も下がるので」とも感じ、「もうちょっとタイミングを早く取って、力を抜いた方がいいんじゃないか」と考えたという。町田は1年目に打率・210だったが、2年目は直球をはじき返せるようになり、65試合で打率・265にまで上昇。秋のフェニックス・リーグでは青柳から2ランも放つなど、清田塾の成果が結果として表れた。
その中で、NPBへの思いをさらに強くさせる出来事があった。光明相模原高時代から仲が良く、BC・埼玉でもチームメートだった同学年の金子功児内野手(21)が23年度育成ドラフト4位で西武へ。アパートの部屋も隣で大の仲良しだった親友に先を越された。
普段は感情を表に出さないタイプだが、「すごい落ち込んでいた。先に行かれた悔しさ、寂しさがあったんだと思います」と清田監督。そして24年、3年目のシーズンに入るに当たり、「今年支配下でいったら、お前の方がすぐ1軍で出るチャンスも来るぞ」と励ました。そんな言葉もあり、町田は発奮。「金子が1年早く行っているのもあって、絶対負けたくないと今年への思いは強かった」と覚悟を持って臨んだ今季だった。
3年目の課題は、変化球攻めされた時の対応力だった。克服のきっかけの一つとなったのが23年から2年連続でブルペン捕手として参加した阪神の春季キャンプ。岩崎ら1軍の主力投手もいた具志川のブルペンで球を受け、打席に立ち、プロの配球を学んだ。「今年は考えながらできるようになった」と清田監督も驚く成長ぶり。今季は51試合で打率・323と高い数字を残した。
くしくも阪神から指名を受け、「縁を感じました」と町田。金子を超えるドラフト4位指名だった。幼い頃、金本知憲、村田修一、筒香嘉智に憧れた気持ちは今も変わらない。「クリーンアップを打てるようなキャッチャーになって、レギュラーになりたい」。「打てる捕手」として虎の新時代を担っていく。
◆町田 隼乙(まちだ・はやと)2003年4月3日生まれ、21歳。青森県出身。サイズ186センチ、88キロ。右投げ右打ち。捕手。光明学園相模原、BC・埼玉を経て24年度ドラフト4位で阪神入団。50メートル走6秒3、遠投110メートル。独立リーグ通算17本塁打。座右の銘は「花よりも花を咲かせる土になれ」、「捲土重来」。